印象は白と黒
【 4 】hidden/黄
男になるが、だからどうした。
夢の中で、私は眉をひそめてそう言った。
やはり村での、母が死ぬより以前の出来事だから、僕と呼称すべきかもしれない。
村長の孫は男女比率の帳尻合わせでも任されているのか、篭りの少し前に訊いてきた。城へ来てからも性別の選択を貴族達から問われることがあったけれど、やはり男性と答えている。もう、意味のない選択なのに。
着飾ることが好きなら女性の方がお似合いでは? と振られることもあった。成程彼らの目にはそうやって映るらしいが、私が好きなのは身嗜みに拘ることではなかった。
村では汚れても破れても問題ないよう、女達も普段は丈夫だけが取り柄の衣服を纏うことが多い。ただ、祭の際は。長い時間を掛けて刺繍が施された、とっておきの肌触り良い、布地のたっぷりした、華やかなものを引っ張り出してくる。母も、少し幼い型だが奥の方から取り出して身につけていた。疲れが顔に滲む彼女も、その時ばかりは美しく見え――僕は母と自分で作った自身の衣装を、少しの不満と共に見下ろすのだった。
元々、針仕事も好んで行っていた作業だったし、城に来て衣装部屋に入り浸るのもむべなるかな、としか言い様がないのだ
あぁそれを考えると、一人称の変遷も、結局そうなのか。誰からも距離を取るための、ほとんど誰もが使わずいた「私」の人称。数少ない例外は、母親だったはずだ。古神殿のお膝元に居たという彼女は、選定印についての知識もあったろう。絵物語も数冊所持していたし、読んで貰った記憶もあったし、……正直を言えば、彼女から文字を習ったことだってあったのだ。必要性のなさと忙しさから、すぐにやめてしまったけれど。
げほ、と。水っぽい咳がどこからか聞こえた。
音に驚いて目を開けると、何故かタナッセの顔がある。
――――うわ言を抜かす前に、まずは自分の顔を湖に映して見てくるがいいさ。そのまま沈んでもらっても、一向に構わないぞ。
いや、何故か、なんて惚けた考えをしている場合じゃない。今さっき、私は以前奴が口にした発言通り、湖に、地下湖に、突き落とされたんじゃないか。しかも投げやり気分でもがくことさえ諦めたのに、どうして生きている。
「ふん、ようやく気がついたか」
考えるまでもなかった。タナッセが護衛に引っ張り上げさせたのだ。親切心からではもちろんないだろう。嫌っているから嫌がらせはしたいが、死なれるのは困る、といったところか。
「……それにしてもお前、随分と沈むのが早くはなかったか? まさか、あのまま……」
ご名答、と言うだけの気力もなくて、肩で息をしながら起き上がる。
「まあ、お前がどう考えようが私には関係のないことだがな」
全くで。
ついでに言うと、私もお前が何を考えていようと関係ない。理解不能な婚約の申し出の付帯効果がきちんと出ているのも、全く持って理解出来ない。
でも、なら、放っておいてくれても良かったんじゃ――待て、それはさすがになしだ。面倒だろうとなんだろうと、生きているならこれからも進んでいかねばならない。自分で自分を腑抜けにするのは愚かな選択だ。感傷的なのは母の夢を見たからか。今過去を振り返っても、死んだ人間が入れ替わる訳じゃない。たとえ私が、本当に当たるはずだったのは棒立ちになってしまった僕だと、徴をさらして神殿で強く思おうと、過去は変わらない。
けどどうしようか。
随分と城での評価は高く、好意的でない噂話ですら王候補と目されるぐらいだ。慌てて舞踏会への参加を取り止めたり、王になる気はないとリリアノ陛下に言ってはみたが、どちらもタナッセに首根っこ捕まれた。二重の意味で本気を出しすぎだ馬鹿。
なら、日々の教育で手を抜くしかない。
勉強は武術はともかく楽しかった。
だいぶ、張り合いがない。
ずぶ濡れの衛士にずぶ濡れの身体を引っ張られて廊下に戻されたあとも、私は少し立ちすくんでいた。
しかし私は心底嫌われたものだ。
*
だから、どうして遭うのか。
真っ向切って嫌われることに慣れていないから、割合、そう、割合本気で傷つくんだと言うのに。嫌だな、自分を糊塗しきるのも失敗し始めている。なので思わず尋ね返してしまった。
玉座の間だった。綺麗なものは好きなので、内装を延々眺めるだけの時間を時々設けている。その日は、タナッセとかち合ってしまったけれど。
何故王を望むかと言われたので、じゃあそっちは何故私と婚約するのか――は直截すぎるから、積極的に私に都合の良い評判を振りまくあなたは、実際王配などでなく王になりたいのではないか、と。案の定、悪意の詰まった視線が私を睨み付けた。我ながら意地の悪い質問だと思うので、当然だ。帰ってきた答えだけが、予想から外れていた。
散々その意味について考えて、悩んで、困っている間に、今年もあとひと月を残すだけになっていた。
【 5 】forgive/黒
黒の月に入った。
泣いても笑っても残り僅か、とは言うが、個人的には怒っても悩んでも残り僅かの気分だ。篭り前に余分な怒りも悩みも解消してしまいたい。心身の不調は存外分化に大きく影響すると聞くし。
気分転換のため中庭をほっつき歩いていた私が回廊まで戻ってきた時、運のないことにタナッセの姿を見つけてしまう。でもあちらは私に気付くことはなかった。一人の貴族が彼に声を掛けたからだ。慇懃無礼な語りかけで場はすぐに棘ある空気に包まれ、私はなんとなく出る機会を逸する。頭髪に白が混じる貴族は、タナッセに冷たい一瞥をされながらも大袈裟な仕草で一方的に話し続ける。
「いよいよ年明けも迫って参りましたなぁ。そういえば、今後のご予定はどうなさるおつもりで? 僭越ながら、私の耳には入っておりませぬが。まさかこのまま城に残られるおつもりでは……」
妙に上機嫌な貴族に対し、タナッセの表情はどんどん生硬なものへ変わっていく。何か、私に言うように何か言い返せばいいのに。
けれど彼は結局貴族が好き勝手言い終えるまで黙りこくっていた。破裂したのは、貴族が去り、姿が完全に見えなくなってからだ。下品を嫌う彼らしからぬ、品のない行為で吐き出しは始まった。壁を蹴りつけたのだ。憤懣やるかたないといった体で絞り出される言葉は、私に少しの共感と、幾らかの予感を残す。
――――私を揶揄する奴の中で、己の力でその場所に立っている者など見たことがないわ!
耳に痛いことを言う。
私がここに居られるのだって、額に変な痣があったから、それが自分のポカで選定印だと判明したから、だ。勉強したのだって他に行き場もなく、やることもなく、モノ知らず飼われる馬鹿でいたくない、なんて下心の産物に過ぎない。
……耳に痛いことを言うな、本当。
*
――――もはや躊躇っている時ではないということか。
――――奴と連絡を取る。
さて、もう一つの「感」。予感は間もなく当たった。
当たったが、間の抜けたことに、私は退っ引きならない状況に追い込まれるまで気付けずいた。居室に呼ばれた時もっと警戒して然るべきだったのだが。先月玉座で帰ってきた答えとか、先日立ち聞きしてしまった際生まれた共感だとか、そんな詰まらないことで頭を悩ませているからだ。無駄に考え事を増やしたタナッセが掛け値なしに鬱陶しい。出会ってすぐの頃、私は奴を「すごくイヤ」と称したが、最早イヤの一語で済む相手ではなくなっていた。
タナッセの応接室で、手ずから出された花蜜入りの甘い酒にどんな薬物が入っていたかはどうでもいい。とにかく、酒を飲んだ私は気付けば床の上であたたかな光に包まれていた。石の床だったが、別に寝心地は悪くない。ただ、手足の拘束は一つの現実を示していた。
果たして、足音と共に首謀者がやってくる。
出会った時と同様、私は見下ろされていた。
「改めて今一度挨拶しようか。ようこそ、望まれぬ寵愛者よ。私だけはお前を歓迎してやろう。印のもたらし手としてな」
こんな状況で最初の挨拶の真意が分かるとは。
黙ったまま、私はタナッセの……一種同情と受け取れなくもない内容を含んだ言葉を耳にしている。この期に及んで言うことがあるとすれば、
「お前の額からそれをはがしてやる」
神の所業の取り消しが人の身に可能か、と言う一点以外なかった。当然の疑問だ。タナッセも承知していたのだろう、可能だという鼻で嗤いながらの断定に伴い、後ろからフードの男が現れた。以前雨の日に奴を着けた際見た、怪しさしかない男だ。
しかもタナッセは言う。方策は手に入れたが、本当に可能かは私の身をもって証明すると。
実験なしの初実践か。駄目だこれ。
男は何も喋らないものの怪しさが隠しきれていないし、上手く行く行かないを横に置いても私は死ぬだろう。上手くいったら用なしで、失敗したら口封じされるに違いない。――進退窮まった。あの日の、地下湖に突き落とされた日のように、早々に諦めよう。そうしよう。
タナッセは色々語っているが、うるさい。
「ここしばらくの扱いで、何か勘違いしてはいないだろうな。印がなくなれば、お前はただのそこらに転がっている子どもに過ぎないのだ」
うるさい。
聞かない。
知らない。
もう諦めるので、諦める努力を始めているので、静かにするか方策とやらを実行しろ。
「となれば、この世界でお前の味方がどこにいる?」
最後の砦の自分自身が意地張りをやめようとしているから、いないんじゃないかな。
わざわざ傷を抉ってくるところ、本当にだいきらいだった。
言いたいことは全て言い切ったのか、奴と入れ替わりにフードの男がやってきた。視線をずらすと、かなり離れた位置に陣取ったのが映る。男が詩文のような言葉を口にすると、床が光ると同時に貧血にも似た不快感が全身を覆う。背筋にも際立って寒気があり、身体のどこか、というより奥底の方から何もかもが消えていく感覚を覚える。末端からどんどん冷えて重くなっていく。生きてきて14年、調子の悪さは何度も経験したけど、本当の意味で動けないと、指を動かせないと、肉体的に感じたのは初めてだ。
失敗は失敗でも、本当に質の悪い大失敗に終わるのだ。
心臓が早鐘を打ち始める。心はこんなに諦めようとしているのに、身体の反応はどうしようもなく……素直、だった。
こわい。明らかな生命の危機に、厭だ嫌だと叫んでいる。でももう何も言えない。私の全身は、とっくに力を失っていたからだ。
むり。やっぱり諦めるなんて簡単じゃなかった。でももう何もかも遅い。変に潔くあろうなんてしないで――はっきり助けてと言えば良かったのだ。
私はせめて、きつく目を閉じた。
恐怖は渦巻くが、世界は既に遠くにある。
だから、そのうめき声も私に関係のない距離にあった。
「では、少し緩めましょうか。ご気分はいかがですか」
笑い答えるそれは、物理的には近いかもしれなかった。
機嫌を斜めにした答えに、また笑いを含んだ――人を小馬鹿にした響きが言葉を返す。それが何回か続いて。
「いや待て。死ぬのは困る。話が違うぞ」
ふと、そんな耳慣れた声が届いた。
意識が向いてしまうのが我ながら憎らしい。なら救けてよと思ってしまうのも。
フードの男は私が考えていたとおりのことを言う。失敗した時は殺さなければならなかったのだし、大差はないだろうと。半端でやめたら告発されるぞ、と。
沈黙が降ちた。
意識を手放すのもやぶさかではない長さの間があり、その時はやってきた。
「止めだ止めだ止めだっっ! こんな気色が悪いこと、これ以上一刻たりとも耐えられるものか!!」
ということは、巨躯の衛士辺りにくびり殺されるんだろうか。フードの男はやっぱり同じ事を尋ねるが、違うとタナッセは言った。
もうだいぶ、考えを巡らすこと自体難しくなっているけれど、必死で会話を追う。
徐々に理解が及んでくる。
おかしなことに。
本当におかしなことに、タナッセはどうも私を殺す気がないらしかった。
ヘンだこのひと。地下湖に突き落とすくらい私のことが嫌いなのに、嫌いだから最悪死なせても構わない覚悟で事を起こしたのに、全部、やめてしまうんだ。なんでだろう。死んでも構わないような相手なんかなのに、さっきから散々まじゅつし風情に嗤われてるのに、やめるんだ。
まじゅつし風情と言われたフードの男の気配がなくなった。
私の浅い呼吸が二度繰り返されたあと、あたたかい何かが触れる。多分、手。随分綺麗になって、普段はもう手袋を使っていない私のそれよりも、肌に触れる感触は優しい。
急げ、と誰かにがなる声が、意識の最後。
*
母さんがいじめられているのが本当に厭だった。
母さんがいびられているのが、本当に、嫌だった。
だから。
父母を介した私への否定は我が身への怒りではなく、母を愚弄された怒りとして私の中にはあった。けど、一々反応すれば、お前のこどもは可愛げが欠片もないさすが片親だ子供一人育てるのもままならない、と母にとばっちりが行ってしまう。受け流すようにした。受け流し、聞こえてもいないふりが上手くなった。
だから。
頑張って作った掘っ建て小屋に過ぎないそれを崩しかねない、変わり種の彼はイヤだった。何故そんな質問をするのか理解出来ないと、選ぶ性別を尋ねられたその瞬間にも自身の考えを誤魔化した。第一、その彼は私たち母子に何もしてはくれなかった。積極的に手を貸さないだけ。村長の孫だから見ているだけでも誰も怒らない。
何もしない。
なんにもしない。
私も彼も、それは同じで。批判する権利なんてないんだけど。
だって、立場が違い、お互いの利点は重ならないのだから、庇うのは馬鹿げている。行為に手を貸さないことは追求を免れても、私にあれ以上寄った時点で大きな問題になってしまっただろう。
だから。
だから、何遍考え直しても、私を助けた理由がさっぱり分からない。
嫌いと言った。全くそうだった。私だって私という存在に対してああも真っ直ぐ否定をぶつけてくる奴がイヤで仕方なかった!
印は、二人の額にある。六代国王候補は二人いる。一人が死んでも一人が居る。
でも、印持ちを、神に選ばれた王候補を死なせかけた行為自体で彼が一体どんな裁きを受けることか。
なのに、困ったことに。
彼の苦境を差し置いて。
助けた理由が何かもどうでもよくて。
手が差し伸べられた事実が、今までのどんな酷い仕打ちも全部帳消しにするぐらい、嬉しくてうれしくて、たまらなかった。
どうしようもない、馬鹿な話だ。
*
夢の中で散々ぱら反省を重ねたおかげだろう。再び意識を取り戻した5日後の今日には、綺麗さっぱり「私が死にかけたのは王息殿下のせいです」など訴える気はなくなっていた。ローニカは渋い顔をしていたし、忠告もされたけれど、告発はしない。しません。
そう、夢で感じた情けない思考群は反省以外の何物でもない。
結局の話。
私は自分で思っているほど村での仕打ちを無関心で通せたものではなく、むしろ大層痛みと辛さを感じていたのだ。
ずっと見ないふりの強いふりで通していたから色々ズレが生じた。そこに今度は父母の評を薄膜とせず直截な、私自身への厭味と皮肉が降るようにやってきた。直接的という不慣れはあるにせよ、基本は村での応対と同様にいけるはず、なんて皮算用したのが決定的な掛け違い。
せめて掛かっている負荷を自覚していたら、地下湖にノコノコ付いていったり、薬物混入酒飲んだり、消極的かつ積極的に命を投げ出すものか。もっと「私可哀想!!」と同情して慰めて不幸に酔って悲劇の主人公を気取って、心理的な重荷を解消していたに違いない。人間、最後の味方は自分自身だ。それを、「もっとやれる全然大丈夫まだまだいける」と蹴飛ばし続けてどうする。
つまり全部ぜんぶ、まるっとぜーんぶ、私が自分自身を把握出来てなかったのがもう決定的に駄目。
――――正直こいつ、すごくイヤ。
彼に出会って間もなくの私の感想だ。
大体、ここからもうおかしい。厭なら、どうしようもなく厭わしいなら、継承権もない王子の妄言なんか話途中でも素知らぬふりで立ち去れば良かった。何を会うたびご丁寧に最後まで言い分を聞いた上で無視したりひっぱたいたりしてたのか。場合によっては歌いもした。あるいは、彼が居ることに気付いていたのに詩歌披露会に参加もした。不出来な作品を作ったら何を言われるか分かったもんじゃないというのに、だ。……まあ、うん、ものすごく褒められたけど。意外なことに。
……とにかく。
遠回しな自殺に彼は、タナッセは、付き合わされたようなものだ。何かと彼の憎しみを煽っておいたのに最終的には救けられて告発、とか有り得ない。しかも二度も死にかけなければ己の愚かさに向き合えなかったので、二重三重にごめんなさいしかない。でもどっちかというと感謝をしたい。
私には、いっそ死んでも構わないとすら考えた存在を、憎しみも手放さず命を救うなんて出来そうもなかった。いや、絶対出来ないと断言する。
素直に凄いなと、そう感じ入る。
先の詩歌披露会だっておんなじ。
骨の髄まで憎らしく思う生き物の発する言葉なら、褒めたり良い評価を出来る自身はなかった。あれは先月の中頃。広間で行われていた小さなその集まりに参加して、他人に見られながらもようよう作り上げた詩を詠んだ時。披露会参加者は鼻白んだような空気に包まれ、――今だから白状してしまうが、かなりこわかった。タナッセの声で場の流れが変わってほっとしたのだ。
というか、待って。やめてほしい。自己に対する怒濤の自覚だけでも目一杯混乱しているのに、今まで「まあ分からないところもないよ……やっぱり理解出来ないしこいつイヤ」枠だったのが、一気に私的情勢が変わりつつあるのは、許容量越え。無理。
ない。ないったらない。ないものはないの。
柔らかい寝台の上で頭を抱えていると、来訪者の旨告げられる。誰だろうと首を傾げるより先に、
「タナッセ様です」
感情を強いて消したローニカの声が名を告げた。
今来るな。
よっぽど言いたかったが、ここで追い返したら取り返しが付かないような強烈な予感がして、通して、と頷いてしまった。
部屋に入ってきた彼は、意気消沈していた。話に軽快さはなく、歯切れも悪い。表情はまるで冴えなかった。挨拶に辛うじて憎まれ口を叩きはしたが、切れ味は鈍すぎる。自分のグズグズ加減を横殴りで気付かされた身なので、本来ならキツい文言は全て心に突き刺さるだろうし、表情なく耐えたりするのも難しいはずだ。
だというのに、思ったのは一つだけ。
ただ、私はそれを言えないまま、苦渋の顔が罰を与えろと言い募っている。でなければせめても自分が着の身着のまま城を出て行き永久に姿を消すことで自罰しようと。
「…………。私の弱さに、お前を巻き込んでしまった。……すまなかった」
どうしてタナッセが謝る。ああいや、形式上は私が殺されかけて九死に一生を得た状態なんだ。そもそも、
――――私の弱さに、お前を巻き込んでしまった。
そんなの、同じだ。傍で見れば悪いのは確かにタナッセだけど、……分かりにくい分、自覚もなかった分、私の方が質が悪い。有り体に言えば、私はタナッセに自身を殺させようとしたも同然なのだし。けれど……おそらく言ったところで彼の主張は変わらないだろう。
ならもう、いいじゃないか。
全部、いい。すまなかったも、ごめんなさいさえも。
何も要らないから、
――――手が差し伸べられた事実が、今までのどんな酷い仕打ちも全部帳消しにするぐらい、嬉しくてうれしくて、たまらなかった。
全く別の気持ちを言うから、それにこたえてよ。
タナッセは既に席を立ち、扉の前まで進んでいた。背だけが私に向けられている。そんな馬鹿しないでいいから、私の馬鹿な話を聞いて欲しい。
5日間まともに使用されなかった喉から出る音は我ながら耳障り。それでも彼は私の一言で振り向く。驚愕の瞳が私と真っ直ぐかち合った。今日初めて視線を交わしたように思う。不理解の驚きが瞳一杯に広がる彼は、引きつった笑いと共に寝台脇の椅子まで戻ってくると、急に力が抜けたような様で座った。勢いが良かったのか、椅子が小さな悲鳴を上げる。いつものタナッセらしからぬ動作に戸惑い、うわ言のようにこちらの正気を疑う声に耳を傾ける。
「どうした、頭の線でも切れたか?」
ある意味では。
「それとも何か、そういう嗜好の持ち主だったのか?」
言ってる意味がよく分からないかも。
「言い間違いか。そうだな」
いいえ。
「それとも聞き間違いか。ああそうだ」
いいえ。
「そんなことがあってたまるか!」
……うん、理由も意味も告げていないんだから、こっちの感情変遷なんて分からないんだし、そうなるだろうな。
そして、しばらく呟きに近い音で何事か言うが、突然叫んだ。
「な、何とか言え、貴様! 間違いなんだろうが!」
思考が一周してきた。色々長らく考えてたみたいだから、何かタナッセの中で納得出来るだけの要素が見つかったと思ったのに。しかも彼は復讐の一環だろう留まり生き恥をさらせと言うことか、なんて、言う。言った。
好きだから訴え突き出す事なんて出来ないと私はタナッセに伝えた。出て行ったりしないでいいから、とそうも口にした。好き、は方便なんかじゃ決してない。あんまりにもあんまりだ。唇が尖るのも、眉尻が下がるのも、意志ではどうにもならなかった。
感情を荒げっぱなしの彼の頬は段々赤みを帯びているが、同様に声量も大きくなって行っている。
「ああ、承知したとも! お前がそれを望むのならば、従ってやろう」
「え……」
どういう流れで彼はその結論に至ったのか。タナッセの宣言に思わず気の抜けた音が口から漏れた。極めつけは、
「何でも……」
一瞬詰まり、「……何でも、してやる」
そんな、今までの強い語気からは想像もつかないほどの穏やかな一言だった。
タナッセはそのまま部屋を去ってしまったが、多分。
出奔は、取り止めてくれているだろう。
……ひとまずはそれでよしとしないと。
追いかけたくても身体はいまだ重くて、関節も力が入らないのだ。早く身体を元通りにして、こちらの意の一部だけを汲んだ残留宣言と――最後の一言の真意を確かめに行かなくては。
顔をそんなに朱くされると、万が一を、ほら、考えたくなってしまうから。
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