「君は、突然自殺をしろと言われて従えますか?
そう、自殺です。
青子はね、近いことを求められたのです、十五の時に。
彼女がそれまで積み重ねてきた努力も希望も、過去も未来もすべて捨てること。今日からおまえは違う生き物として生きろ、とね。
どうです? それは自己の抹消、未来の死と同じだと思いませんか?」
(『魔法使いの夜』TYPE-MOON/一部省略)
印象は白と黒
【 0 】hide/白
移動の最中は雨に降られることが多かった。
村育ちの私としては場違いに感じる場所へ行くというだけでも重荷なのに、いくらアネキウスの恵みといえど頻繁に過ぎて苦痛を覚える。鹿車の車輪が泥を跳ね上げるし休憩に外へ出ることもかなわない。だが今日は違った。あれが城だと同行のローニカ――神に選ばれた貴方様が一侍従に敬称を付ける必要はないと頑ななので呼び捨てだ――が晴れの虚空を指さして言って、私は改めて嘆息する。道中に為された説明と合わせて酷く嫌な気持ちで。
晴れに浮かぶ石造りの城は、あばら小屋に毛が生えたような家に住んでいた身からすると過剰に堅牢だった。必要性のない二人目。幼い頃から王たれと教育を受けた少年と、田舎暮らしで本の一つも読めない私。
雨の気配一つ無い空の下、私は城に足を踏み入れた。聞こえても構わないというように、しかし密やかに見張りの衛士がこちらを寸評するが、ローニカは首を横に振った。
「貴方様は神に選ばれたお方、堂々としておればそれで良いのです」
内心ぼやいた。要りもしない二人目を気まぐれに作って今更引っ張り出してきた神の真意を問いたいところだな、と。
鹿車を降りると、階段上に人影が見えた。男性だ。短い髪を軽く撫でつけ、用途の不明な薄布を右肩から下げる彼は、繊細な顔立ちにそぐわない表情を浮かべている。似た色を、私は村で見たことがある。受けた印象ままの言葉が投げられた。可哀想に、と。
「今更出てきても何の益もなかろうに。誰にとっても不幸なだけだ」
普段なら流せもしただろう言い様。ただ、私は人生最高の不機嫌にここ最近包まれており、むべなるかな、明確な感情が彼に向けられることになった。真正面から投げつける気概は嫌いと言い切れないが、思う。彼の言動は許容出来ない。というかはっきり気にくわない。自覚しているとしても、改めて指摘されると勘に障るのが人情だろう。
そもそも。
「可哀想に。額に印が刻まれたばかりに」
ああ全く、村で見覚えある表情のはずだ。
ある種本気の憐憫と理屈なしの敵意。見慣れていて、向けられ慣れていて、だから通常対応を取ろうと決めた。決めたのに、早速決意が出鼻をくじかれた。
「他の誰もがお前の到着を喜ばないだろうが、私だけはお前を歓迎してやるよ」
理解の範疇を超えた言動で、一瞬空白に支配される。おかげで去りゆく彼の背に問いかけられない。色々尋ねたいこともあったのだが。眉間の強ばりへ指を当てる私に、衛士の時同様ローニカは気にする必要はないと言った。また、結局名乗らないでいなくなった彼についても教えてくれた。現王リリアノ唯一の令息、タナッセ・ランテ=ヨアマキス。印を持たず、継承権のない王子。一体何を持ってタナッセは私を歓迎するなどと口にしたのか。
【 1 】stranger/緑
柔らかく身体を沈み込ませる寝台は夢を見せる。嫌な夢を。
頭一つ抜けた高さの神殿と、比べて控えめな二階立ての家と、平屋の木造建築。それらが統一性なく立ち並んでいる緑の村は、私が数週間前まで住んでいた場所と相違なく。
つまり、相も変わらず私は大人達からひそやかに言葉を投げつけられていた。
名も知れぬ父親の怪しさだとか、母親が生死すら口にしない理由だとか、およそ娯楽というものが存在せず搾取されるだけの鄙びた村では愉しく語られている。私自身へ話が流れることは少ない。大抵は父母どちらか越しの話題だ。
同年代の子供達は、昔こそ穴掘りに腐心したり親の受け売りを必死に用いて楽しんでいたが、最近はほとんどそういうこともない。何故そうなったか心当たりはないでもなかった。……同時にさっぱり理解出来なかったが。
薄っぺらい同情を寄せてくる存在も一定数あったけれど、いっそ惨めでいらない憐憫の情だ。まだ昔の子供連中同様真正面から切り込んでくれる方が反応のしようもある。せめて泣くぐらいすれば可愛げもあると言われても。無意味に過ぎる。
夢は大雑把に数週間前までの状況を俯瞰すると、私を現実に放り投げた。
侍従のどちらが声を掛けてくるよりも前。アネキウスが光を強くし始める少し前、身体に染みついた習慣通りに半端な心地で目覚めてしまう。慣れない柔らかにもがくような気分で身体を起こして私は先月の判断を正しかったことと反芻した。
――――ふむ、本気か?
――――お主が王になること、万が一つにもありえぬ。
王になる気はあるかと問われ、えぇありますともと返し、言われた。そりゃそうだろう。私だってもし国王陛下が辺境の村に単身やってきて「これから村の一員になろうと考えている」と抜かしたら同じ応対になる。真っ当な感性だ。そして私も夢――いやふわふわ緩い、甘い考えで宣言したものじゃない。まだ感情は事実を退けたくて堪らない様子だが、余分な二人目であっても選定印が額に貼り付いている以上、最早外での生活は望めないと理性は気付いている。どんな利用をされるか知れないのだ。
ならせめて、不安定な足元を自分で盤石にしていく。知り合い一人存在しない湖の真ん中で、まずは無理矢理にでも存在を示していく。結果として王になれなくとも、まるで問題ない――対抗馬として目立ちすぎると排除すべき邪魔者扱いになるのは明白だし。
その日中、散歩途中で遭ってしまったタナッセに奇しくも嗤われた。馬鹿な二人目の噂は広まっているらしく、少しの安堵が胸をよぎる。だがしかし。
「うわ言を抜かす前に、まずは自分の顔を湖に映して見てくるがいいさ。そのまま沈んでもらっても、一向に構わないぞ」
先月、衣装部屋でかち合った時も思ったけれど。
正直こいつ、すごくイヤ。
イヤさにとうとう我慢が出来なくなって、手を挙げたのは月末の、やはり衣装部屋で、だった。厭味と皮肉の中身自体は今までに比べればもっとも軽いものと言えた。田舎くさいなんて重々承知で、だから今日の舞踏会は参加を控えたのだから。
ただ、積み重なった腹立ちが少しの衝撃で弾けてしまって。
「…………」
あ、と我に帰ったが時既に遅し。存外しなった手が乾いた音を右の頬で打ち鳴らしていた。布手袋に覆われた私のてのひらが立てる音はくぐもっていたが、浮かんでいた嘲笑を頬からかき消し、タナッセは冷えた視線と数呼吸分の沈黙を向けてくる。やがて低い声音と共に叩き返された。
咄嗟に反発しかけた私へ、呆れしかない低さが覆い被さってくる。
「……ほら、お前は黙るのか?」
言われなくても知っている。
昔は。本当の本当に昔は、村で同じことをしたしされた。
私も――僕も彼らも黙らなかった。
喉元までせり上がるそれを堪え、今度は私が沈黙を作った。タナッセはそんな私など見えてもいないように一方的に言いたいことだけ言い放つ。頬を押さえたまま、私は踵を返した背中を見つめていた。
【 2 】sore/青
見たくない夢、見てしまった夢。
いずれにしろ不愉快には違いない。
今日もまた、既に遠い過去を見る。
父母を通して判断される私は、僕は、しかしどちらをも嫌ってはいなかった。父については好悪を抱ける材料がなかった。母は――。
僕と母は毎日の農作業を初めとした日々の糧を得る仕事と併せて非常に疲れていた。疲れ切っていたのだ。僕と母は、互いに互いを嫌ってはいなかった。しかしとにかく余裕がなかったものだから、大半の記憶は気まずい沈黙と破裂した苛立ちを何某かの物品に乗せた酷い代物になる。時折あるあたたかい記憶は、貴重すぎるからすり切れないよう普段はしまってあるのだが――一つだけ、例外があった。暇があれば持ち出すそれは、最新のあたたかな、つめたいおもいで。庇われた己と、庇った彼女の、不意の別れのおもいで。
そして僕は、付け入られることを恐れ、距離を取るために誰もが使わない「私」になった。それがまさか、……「私」が当たり前の場所に来るなんて、運命の皮肉としか形容しようもない。
今日も目を覚ます。寝台は変わらず埋もれそうに柔らかい。起き上がるのにすら苦心するほど。だから夜は好きじゃない。
身をよじるようにしながら起き上がり、私は両手を眼前に掲げる。外は仄かに明るい。農作業で荒れきっていた皮膚は、今少し、寝台の甘さと似合いの感触になり始めていた。
しかしまあ、なんというか。
こんな夢見てしまったのはどう考えても奴のせいだろう。おかげで幼稚な気分と感傷的な気分に浸らせて頂きましたとも。どう考えても昨日の朗誦は貴族様方に似合いの詩歌だったというのに、ほら、そんな状況が今や私にも微妙に、本当に微妙に、被ってしまっているのだから。
*
本当に試合にご出場なさるのですか、とローニカに言われた。
もちろん。しかも優勝する気しかない。そのために先月は訓練に明け暮れ、やはり田舎者見知らぬ場所で戸惑うばかりと噂されても我慢したし、参加している衛士の質を試合を見学して確かめもしたのだ。字面通りの真剣勝負なのが気がかりだが、昨年起きた問題を鑑みて衛士は更に手を抜いて来るだろう。あとは、
「――――ん、」
さっきから、むしろ武術の受講中にはずっと刺激されている記憶の最も辛い部分に負けないでいられるか、だ。背筋に怖気が走ってやまない。幻視するのは空から振る大きな銀色。いまだ生々しい記憶なのだと思い知らされる。
幸い、試合の決着はいずれも素早く付いた。数手を守り、切り込みのクセを確認した上でのフェイントは、的確に相手を打ち払う。むしろ次の出番までの待ち時間が長いくらい。とはいえ、もう少し長引いたら仮病でも使いかねなかったので、あっさり勝てて良かった。
優勝を讃えられてかなりご満悦の私は、言うまでもなく5日後の訪問なんか想像もしていなかった。
その日の私は、いつも通り4日分の疲れを癒すべく、中庭の散策をする気でいた。最近気に入りの過ごし方だ。が。休日用の簡易な衣服に着替え直したところで奴が来てしまったので、ついて行かざるを得なかった。奴――タナッセがわざわざ訪ねてくるなど、どんな異常事態だというのか。相も変わらず美形を台無しにする常時不機嫌そうな面持ちに内心ため息をつきながらその背を追う。
昼でも暗い中庭の一角で、タナッセは立ち止まる。人払いはしてあるというが、一体何を話そうというのか、まるで見当がつかなかった。大人しく耳を傾け待つ。
「さて、話というのは簡単だ」
私と組まないかと言って、「具体的に言うならば、私とお前が婚姻を結ぶということだ」
「…………」
思考が白飛びした。何もかもが途絶した私には自身の顔面の動きすら把握出来なかったけど、相当ヘンな顔をしたらしいのは彼の言葉で分かった。あんまりな表情だったのか、いくらかの説明が付随していく。
曰く、仲睦まじい夫婦になるというものではなく、互いの利点を用い合うだけの関係ということ。情はむしろ不要で、嫌い合っている故の申し出であるということ。
疑問点は山のようにある。私はヨアマキスという貴族の後ろ盾が手に入るが、……タナッセは私と組んだところで何を手中に出来るんだろう。怪しすぎる。絶対に裏がある。第一、私の王になりたい発言はハッタリの類というか、実際あんな苦しい地位を手に入れたい訳ではない。永久に城暮らしなだけでもう充分。でも、タナッセの謎しかない申し出の理由は気になった。
勉強、人付き合い、そういったものに手を抜けばいいだろう。まかり間違っても王様になりたくはない、向いていない、適正なんて皆無だ。
結論づけて私は彼と組むと伝える。
すると、言い出した割にタナッセは不快そうな顔で肯いた。
「……ふん、そうか、組むのか」
しかしまあ、ヴァイルのことを考えても、理解不能な持ちかけだ。流れる噂や時折見かける二人のやり取りは確かに不仲を指し示しているけど、人生のほぼ全てを一緒に過ごした人物を嫌いきるなんて出来るんだろうか。私には無理だった。……味方の振りして殺される、なんてオチだったら笑えないったらない。
それにしても、
「ならば、今後恥ずかしい真似は謹んでもらいたいものだ。名目上だけとはいえ、今のままでは伴侶と称するのすら恥ずかしいからな」
やっぱりムカつく。なるべく堪えて無視するように心がけているが、村人達の言葉と違って受け流しが全く難しい。一体どうしてと思うが、理由のアタリは付いている。父母越しでない真っ直ぐな嫌悪がほとんど初めてだから勝手が違いすぎるのだ。
「では、これからよろしく頼むよ、婚約者殿」
甘さなど欠片もない、甘いはずの続柄の響きを最後に、タナッセは一人先に帰って行く。
【 3 】gift/赤
二度目の、影響下における夢だった。
時系列としては過去。今日も今日とて村での記憶だ。
ただ、少しだけ趣が違った。私には今のところ理解が出来ないある男性について焦点が当たった、そんな夢。彼は私より二つ年上で、村長の孫だった。彼――残念ながら名前は覚えていない、彼に限らず村の住人の名は分からない――は、こう、なんというべきか、白眼視か憐憫かに別たれる村において、立ち位置が特殊だと言えたろう。特にどちらでもないのだ。タナッセのように真っ正面から厭味をぶつけてくるかというとまた違う。逆に優しいかというと、それもまた違う。僕はとにかくほとほと困った。
彼の篭りが明けてすぐ、僕は13だった時の話だ。無事に篭りを終えた彼は、どうやら祖父から贈り物をして貰ったらしく、村の広場で子供達にそれを声高に見せびらかしていた。僕は興味など引かれず、むしろ鬱陶しく感じながら遠巻きに脇を過ぎ行く。しかし哀しいかな、不思議と彼は僕を目敏く見つけるのだ。その時も彼は後ろから追ってきた。名を呼ばれたので振り返ると既に人気はなくなっており、毎度まいど誰かが居ると駄目なんだなと呆れて向かい合う。話の内容は極めて陳腐。ただの自慢話だった。僕があしらうような態度を取ると途端に黙りこくる。昔から変わり映えしない彼に掛ける言葉は最早なく、僕は背を向けた。が、彼は回り込むとこちらの手にご自慢の品物を押しつけ先に走り去っていったのだった。
万事がこの調子というか、村長の孫である以上他の誰かの前で同じ内容を僕と喋っても咎められないだろうに、何故か人気のない場所で話しかけてくる。この日は特に極まっていたが。自分への贈り物を他者に、それも僕に、私なんかに渡すなんて、篭りで精神面が疲労していたとしか考えつかない。
そもそも。女性になるとずっと言っていた彼ははて、どうして男性を選んだんだろう。
……なんだかよく分からないことばかりだ。
目覚めと同時に疲労を覚えていた。どうもリリアノ陛下が私へ王候補としての本腰を入れ始めたらしいことも一つあるが、言うまでもなく、オチのない夢を見てしまったのが大きい。やっぱり、あなた宛の手紙が届いているとかタナッセを探し回るとか、無駄な親切心の発露だったと思う。どうせ使い走りを嗤われるだろうと踏んでいたのに感謝されるとは。タナッセがまたよく分からなくなった。糸口もつかめない謎について延々思い巡らすのは不毛だ。
沈む身体を勢い付けて起こす。さあ、一日を始めよう。
だが、気合いを入れたのも虚しく、早めの朝食を食べに広間へ行くと、顔を合わせたくない人物と出くわした。回れ右なら間に合わない。人が多い時間帯なら紛れられたものを、奴は、タナッセは端の席から出入り口付近で立ち止まった私の方まで近づいてくる。……あんまり近づかれると、身長差が大きいせいで見上げ気味になってしまい、それがまた腹立たしい。いずれ見下ろしてやりたいところだ――あぁ、えぇと、万が一にも本当に結婚するんなら私が女性を選択するから、うん、無理なのかな。
「おや、何だ。これからは見世物の時間か」
なんとなく言われそうな内容は想像が付いた、というか分かりやすすぎる。「何か芸の一つでも身につけたのか? ほら、披露してみろ。うまくできたら餌をやるぞ」
お前から餌は要らないが、片付けないと落ち着いて食事も出来ないのでやってやろう。とは言っても、まさか詩歌の暗誦などでは芸と数えてもらえないだろうし……いや、暗誦はともかく、詩もともかく、歌はありかもしれない。文字も読めない農業従事者達は、作業の合間によく口伝の歌を紡いでいた。それらは洗練された品の良い音楽とはまるで異なる、打楽器中心の素朴な歌い上げだが、逆に、上手くすれば耳慣れぬ面白いものと認識されるだろう。
必要なのは、思い切り。
広間中の注目が集まる中、声一つで聞き応えを感じさせる、無謀さだ。
私は開き直ってお辞儀をする。歌詞を思い出すため視線は微かに下を向くが、片手を胸に当てることで「そういうもの」に見せてしまおう。
――果たして、降りたのは沈黙だった。それも広間中の。盛大に外したか、これは。率直に言って全速力で自室へ逃げ帰りたいが、無茶を放り投げてきたタナッセを置いて去るとあとが面倒そうだ。まあ、ひとまず始まりに頭を下げたので終わりも頭を下げる。
「……田舎くさい歌だな」
早速タナッセの寸評が始まった。先月辺りも、私の読んでいる本にケチをつけた挙句、この世に存在していなさそうな理想の女性像を言い捨て図書室を出て行ったが、どうしてこう、逐一人のやってる内容に首を突っ込んでくるのだろうか。嫌いだ好かないと言うのなら、全く放っておいて欲しい。本当イヤな奴だ。親を引き合いに出した陰口が城中に蔓延しているのは私も耳に届いて知っているし、捻れるのも納得するが、そういう部分は理解しきれない。
空きっ腹を埋めるのはまだ先になりそうと覚悟した時、騒ぎを聞きつけでもしたのか、ローニカが割り込んできた。居もしない来客をでっち上げることで連れ出してくれる気らしい。これ幸いと私は乗って広間を出ることにした。
「相変わらずタナッセ様はあのような調子ですか?」
廊下に出て、自室方向へ歩きながら侍従に尋ねられる。
出会い頭から変わる事なんてない。多分あれは永久不変だ。ローニカは眉をひそめながら続ける。それにしても、まことクレッセ様似でいらっしゃる、と。名前に聞き覚えがある。彼の噂で良く出てくる父親の名――というか、大抵はクレッセ評が先にあって、そこからタナッセを見ている印象を受けたので、よく覚えている。両親が揃っていても変わらないのかと、自然半目になったものだ。
「――リリアノ様には似ても似つかずにおられることです。言われなければ、親子とは誰も思いはしないでしょう」
ローニカは、クレッセに関しても、リリアノに関しても、噂と寸分違わぬ言い様を取ってタナッセを評価した。おかげで、私は言下に侍従の発言を否定して掛かってしまう。彼はどうにも納得いかない様子で更に否定の語を口にしたが、……私と顔を合わせると、話題を打ち切ってきた。打ち切る必要性を、表情から判じた、ということか。鏡石が手元にないことをここまで困った状況は初めてだ。ローニカの取って付けたような去り際の言葉にも、私は生返事だった。
*
今月の御前試合は、参加する気は愚か観覧する気もない。最初は見に行って姿を現すぐらいしようと思っていたが、些か話題になりすぎているのだ。もちろん私が。貴族の。ここで更にタナッセの裏工作が実を結んだ場合を加味すると、目立つ行為は避けたかった。
さて、では空いてしまった予定をどう埋めようか。贅沢な悩みを抱え歩いていると、ふと訓練所に目が行った。当然人っ子一人いない。――はずが、視界の端で動くものを見つけてしまったので、錯視か曲者か見極めたくなったのだ。そしてそれは、やはりあった。居た。「それ」もこちらに気付いたようで不快と怪訝を混ぜた顔を向けてくる。
「……何だ、何でおまえがいる。御前試合には行かないのか」
「それ」、まあタナッセなのだが、彼は背に何かを隠すなりいつになく刺々しい語気で私に言う。どうも、居られるだけで相当不都合らしい。厭味らしい厭味もなく、追い立てる言葉だけを繰り返し素っ気なく投げてくる。
……そこまでの態度を取られると逆に知りたくなる。取り敢えず私は去ったふりをして遠めの柱に隠れ、そこから様子を伺うことにした。でも、期待通りにはならなかった。彼が持っていたのはただの剣だったし、始めたのは人形への打ち込み。普通の鍛錬だ。実践でどうかはさておき、武器の取り回し自体は私とお仲間に見える。さすがに未分化と男性選択者の差なのか、重み自体に動きを振り回されそうな危なっかしさは感じられず、羨ましい。――あー……最後の感想は余計だった。
「ああー、タナッセ坊ちゃんねえ」
背後から掛かる突然の声に、自分でも驚くぐらい身を震わせ振り返ると、見知らぬ女性が同じように隠れていた。人なつこそうな、おそらく下働きだろう中年女性だ。訳知りそうな彼女に首を傾げると、
「いつもこの日はあれやってるのよ。人がいっぱいいるの、嫌なんだろうねえ」
やはり人の好さそうな影のない笑顔で手を振りながら話してくれる。あとにも言葉は続いたが、脳裏をよぎるのは城内で耳に入ってきた、城仕えや貴族達の噂だ。
――――あれはどう見ても、惰弱な父似よ。
――――手合わせに誘ってみれば、するりと逃げやがる。
まあその。
庇う気はないが、巨体の衛士が護衛として付いている以上、タナッセは嗜みとして以上の武芸など習得しなくてもいいはずだ。
リリアノ陛下やヴァイルという印持ち、学べば学んだだけ吸収出来る上王の教育を受けた二人が居るので、なまじっかな実力では確かに卑近な比較として劣るけれど、大きな手加減があるにせよ私だってほぼ同等に実力で御前試合で優勝可能だった。戦い護ることが本業の彼らと曲がりなりにでも並べたのなら、貴人としては十全だろう。
噂だ。そう、噂でこれも聞いた。タナッセは分化直後だったとはいえ男性を選んだのに、三つ下で未分化のヴァイルに負けたという。そんなに悔しかったのか。人目を避けて練習するほどに?
視線の先では険しい顔の彼が居る。当たり前だ。練習ではあるが真剣を用いている。
刃物は、厭だ。嫌い。大降りの銀色は、万一振りかぶりの際手から抜ければあらぬ方向へ飛んで事故を起こす。だからいつも、私は武術の時間おかしな方向にばかり気を張っている。
少なくとも、彼の視線は真剣だ。もし、悔しさの発露から来る鍛錬だとしても、私のような逃げ腰の訓練では決してなかった。
【 4 】hidden/黄
男になるが、だからどうした。
夢の中で、私は眉をひそめてそう言った。
やはり村での、母が死ぬより以前の出来事だから、僕と呼称すべきかもしれない。
村長の孫は男女比率の帳尻合わせでも任されているのか、篭りの少し前に訊いてきた。城へ来てからも性別の選択を貴族達から問われることがあったけれど、やはり男性と答えている。もう、意味のない選択なのに。
着飾ることが好きなら女性の方がお似合いでは? と振られることもあった。成程彼らの目にはそうやって映るらしいが、私が好きなのは身嗜みに拘ることではなかった。
村では汚れても破れても問題ないよう、女達も普段は丈夫だけが取り柄の衣服を纏うことが多い。ただ、祭の際は。長い時間を掛けて刺繍が施された、とっておきの肌触り良い、布地のたっぷりした、華やかなものを引っ張り出してくる。母も、少し幼い型だが奥の方から取り出して身につけていた。疲れが顔に滲む彼女も、その時ばかりは美しく見え――僕は母と自分で作った自身の衣装を、少しの不満と共に見下ろすのだった。
元々、針仕事も好んで行っていた作業だったし、城に来て衣装部屋に入り浸るのもむべなるかな、としか言い様がないのだ
あぁそれを考えると、一人称の変遷も、結局そうなのか。誰からも距離を取るための、ほとんど誰もが使わずいた「私」の人称。数少ない例外は、母親だったはずだ。古神殿のお膝元に居たという彼女は、選定印についての知識もあったろう。絵物語も数冊所持していたし、読んで貰った記憶もあったし、……正直を言えば、彼女から文字を習ったことだってあったのだ。必要性のなさと忙しさから、すぐにやめてしまったけれど。
げほ、と。水っぽい咳がどこからか聞こえた。
音に驚いて目を開けると、何故かタナッセの顔がある。
――――うわ言を抜かす前に、まずは自分の顔を湖に映して見てくるがいいさ。そのまま沈んでもらっても、一向に構わないぞ。
いや、何故か、なんて惚けた考えをしている場合じゃない。今さっき、私は以前奴が口にした発言通り、湖に、地下湖に、突き落とされたんじゃないか。しかも投げやり気分でもがくことさえ諦めたのに、どうして生きている。
「ふん、ようやく気がついたか」
考えるまでもなかった。タナッセが護衛に引っ張り上げさせたのだ。親切心からではもちろんないだろう。嫌っているから嫌がらせはしたいが、死なれるのは困る、といったところか。
「……それにしてもお前、随分と沈むのが早くはなかったか? まさか、あのまま……」
ご名答、と言うだけの気力もなくて、肩で息をしながら起き上がる。
「まあ、お前がどう考えようが私には関係のないことだがな」
全くで。
ついでに言うと、私もお前が何を考えていようと関係ない。理解不能な婚約の申し出の付帯効果がきちんと出ているのも、全く持って理解出来ない。
でも、なら、放っておいてくれても良かったんじゃ――待て、それはさすがになしだ。面倒だろうとなんだろうと、生きているならこれからも進んでいかねばならない。自分で自分を腑抜けにするのは愚かな選択だ。感傷的なのは母の夢を見たからか。今過去を振り返っても、死んだ人間が入れ替わる訳じゃない。たとえ私が、本当に当たるはずだったのは棒立ちになってしまった僕だと、徴をさらして神殿で強く思おうと、過去は変わらない。
けどどうしようか。
随分と城での評価は高く、好意的でない噂話ですら王候補と目されるぐらいだ。慌てて舞踏会への参加を取り止めたり、王になる気はないとリリアノ陛下に言ってはみたが、どちらもタナッセに首根っこ捕まれた。二重の意味で本気を出しすぎだ馬鹿。
なら、日々の教育で手を抜くしかない。
勉強は武術はともかく楽しかった。
だいぶ、張り合いがない。
ずぶ濡れの衛士にずぶ濡れの身体を引っ張られて廊下に戻されたあとも、私は少し立ちすくんでいた。
しかし私は心底嫌われたものだ。
*
だから、どうして遭うのか。
真っ向切って嫌われることに慣れていないから、割合、そう、割合本気で傷つくんだと言うのに。嫌だな、自分を糊塗しきるのも失敗し始めている。なので思わず尋ね返してしまった。
玉座の間だった。綺麗なものは好きなので、内装を延々眺めるだけの時間を時々設けている。その日は、タナッセとかち合ってしまったけれど。
何故王を望むかと言われたので、じゃあそっちは何故私と婚約するのか――は直截すぎるから、積極的に私に都合の良い評判を振りまくあなたは、実際王配などでなく王になりたいのではないか、と。案の定、悪意の詰まった視線が私を睨み付けた。我ながら意地の悪い質問だと思うので、当然だ。帰ってきた答えだけが、予想から外れていた。
散々その意味について考えて、悩んで、困っている間に、今年もあとひと月を残すだけになっていた。
【 5 】forgive/黒
黒の月に入った。
泣いても笑っても残り僅か、とは言うが、個人的には怒っても悩んでも残り僅かの気分だ。篭り前に余分な怒りも悩みも解消してしまいたい。心身の不調は存外分化に大きく影響すると聞くし。
気分転換のため中庭をほっつき歩いていた私が回廊まで戻ってきた時、運のないことにタナッセの姿を見つけてしまう。でもあちらは私に気付くことはなかった。一人の貴族が彼に声を掛けたからだ。慇懃無礼な語りかけで場はすぐに棘ある空気に包まれ、私はなんとなく出る機会を逸する。頭髪に白が混じる貴族は、タナッセに冷たい一瞥をされながらも大袈裟な仕草で一方的に話し続ける。
「いよいよ年明けも迫って参りましたなぁ。そういえば、今後のご予定はどうなさるおつもりで? 僭越ながら、私の耳には入っておりませぬが。まさかこのまま城に残られるおつもりでは……」
妙に上機嫌な貴族に対し、タナッセの表情はどんどん生硬なものへ変わっていく。何か、私に言うように何か言い返せばいいのに。
けれど彼は結局貴族が好き勝手言い終えるまで黙りこくっていた。破裂したのは、貴族が去り、姿が完全に見えなくなってからだ。下品を嫌う彼らしからぬ、品のない行為で吐き出しは始まった。壁を蹴りつけたのだ。憤懣やるかたないといった体で絞り出される言葉は、私に少しの共感と、幾らかの予感を残す。
――――私を揶揄する奴の中で、己の力でその場所に立っている者など見たことがないわ!
耳に痛いことを言う。
私がここに居られるのだって、額に変な痣があったから、それが自分のポカで選定印だと判明したから、だ。勉強したのだって他に行き場もなく、やることもなく、モノ知らず飼われる馬鹿でいたくない、なんて下心の産物に過ぎない。
……耳に痛いことを言うな、本当。
*
――――もはや躊躇っている時ではないということか。
――――奴と連絡を取る。
さて、もう一つの「感」。予感は間もなく当たった。
当たったが、間の抜けたことに、私は退っ引きならない状況に追い込まれるまで気付けずいた。居室に呼ばれた時もっと警戒して然るべきだったのだが。先月玉座で帰ってきた答えとか、先日立ち聞きしてしまった際生まれた共感だとか、そんな詰まらないことで頭を悩ませているからだ。無駄に考え事を増やしたタナッセが掛け値なしに鬱陶しい。出会ってすぐの頃、私は奴を「すごくイヤ」と称したが、最早イヤの一語で済む相手ではなくなっていた。
タナッセの応接室で、手ずから出された花蜜入りの甘い酒にどんな薬物が入っていたかはどうでもいい。とにかく、酒を飲んだ私は気付けば床の上であたたかな光に包まれていた。石の床だったが、別に寝心地は悪くない。ただ、手足の拘束は一つの現実を示していた。
果たして、足音と共に首謀者がやってくる。
出会った時と同様、私は見下ろされていた。
「改めて今一度挨拶しようか。ようこそ、望まれぬ寵愛者よ。私だけはお前を歓迎してやろう。印のもたらし手としてな」
こんな状況で最初の挨拶の真意が分かるとは。
黙ったまま、私はタナッセの……一種同情と受け取れなくもない内容を含んだ言葉を耳にしている。この期に及んで言うことがあるとすれば、
「お前の額からそれをはがしてやる」
神の所業の取り消しが人の身に可能か、と言う一点以外なかった。当然の疑問だ。タナッセも承知していたのだろう、可能だという鼻で嗤いながらの断定に伴い、後ろからフードの男が現れた。以前雨の日に奴を着けた際見た、怪しさしかない男だ。
しかもタナッセは言う。方策は手に入れたが、本当に可能かは私の身をもって証明すると。
実験なしの初実践か。駄目だこれ。
男は何も喋らないものの怪しさが隠しきれていないし、上手く行く行かないを横に置いても私は死ぬだろう。上手くいったら用なしで、失敗したら口封じされるに違いない。――進退窮まった。あの日の、地下湖に突き落とされた日のように、早々に諦めよう。そうしよう。
タナッセは色々語っているが、うるさい。
「ここしばらくの扱いで、何か勘違いしてはいないだろうな。印がなくなれば、お前はただのそこらに転がっている子どもに過ぎないのだ」
うるさい。
聞かない。
知らない。
もう諦めるので、諦める努力を始めているので、静かにするか方策とやらを実行しろ。
「となれば、この世界でお前の味方がどこにいる?」
最後の砦の自分自身が意地張りをやめようとしているから、いないんじゃないかな。
わざわざ傷を抉ってくるところ、本当にだいきらいだった。
言いたいことは全て言い切ったのか、奴と入れ替わりにフードの男がやってきた。視線をずらすと、かなり離れた位置に陣取ったのが映る。男が詩文のような言葉を口にすると、床が光ると同時に貧血にも似た不快感が全身を覆う。背筋にも際立って寒気があり、身体のどこか、というより奥底の方から何もかもが消えていく感覚を覚える。末端からどんどん冷えて重くなっていく。生きてきて14年、調子の悪さは何度も経験したけど、本当の意味で動けないと、指を動かせないと、肉体的に感じたのは初めてだ。
失敗は失敗でも、本当に質の悪い大失敗に終わるのだ。
心臓が早鐘を打ち始める。心はこんなに諦めようとしているのに、身体の反応はどうしようもなく……素直、だった。
こわい。明らかな生命の危機に、厭だ嫌だと叫んでいる。でももう何も言えない。私の全身は、とっくに力を失っていたからだ。
むり。やっぱり諦めるなんて簡単じゃなかった。でももう何もかも遅い。変に潔くあろうなんてしないで――はっきり助けてと言えば良かったのだ。
私はせめて、きつく目を閉じた。
恐怖は渦巻くが、世界は既に遠くにある。
だから、そのうめき声も私に関係のない距離にあった。
「では、少し緩めましょうか。ご気分はいかがですか」
笑い答えるそれは、物理的には近いかもしれなかった。
機嫌を斜めにした答えに、また笑いを含んだ――人を小馬鹿にした響きが言葉を返す。それが何回か続いて。
「いや待て。死ぬのは困る。話が違うぞ」
ふと、そんな耳慣れた声が届いた。
意識が向いてしまうのが我ながら憎らしい。なら救けてよと思ってしまうのも。
フードの男は私が考えていたとおりのことを言う。失敗した時は殺さなければならなかったのだし、大差はないだろうと。半端でやめたら告発されるぞ、と。
沈黙が降ちた。
意識を手放すのもやぶさかではない長さの間があり、その時はやってきた。
「止めだ止めだ止めだっっ! こんな気色が悪いこと、これ以上一刻たりとも耐えられるものか!!」
ということは、巨躯の衛士辺りにくびり殺されるんだろうか。フードの男はやっぱり同じ事を尋ねるが、違うとタナッセは言った。
もうだいぶ、考えを巡らすこと自体難しくなっているけれど、必死で会話を追う。
徐々に理解が及んでくる。
おかしなことに。
本当におかしなことに、タナッセはどうも私を殺す気がないらしかった。
ヘンだこのひと。地下湖に突き落とすくらい私のことが嫌いなのに、嫌いだから最悪死なせても構わない覚悟で事を起こしたのに、全部、やめてしまうんだ。なんでだろう。死んでも構わないような相手なんかなのに、さっきから散々まじゅつし風情に嗤われてるのに、やめるんだ。
まじゅつし風情と言われたフードの男の気配がなくなった。
私の浅い呼吸が二度繰り返されたあと、あたたかい何かが触れる。多分、手。随分綺麗になって、普段はもう手袋を使っていない私のそれよりも、肌に触れる感触は優しい。
急げ、と誰かにがなる声が、意識の最後。
*
母さんがいじめられているのが本当に厭だった。
母さんがいびられているのが、本当に、嫌だった。
だから。
父母を介した私への否定は我が身への怒りではなく、母を愚弄された怒りとして私の中にはあった。けど、一々反応すれば、お前のこどもは可愛げが欠片もないさすが片親だ子供一人育てるのもままならない、と母にとばっちりが行ってしまう。受け流すようにした。受け流し、聞こえてもいないふりが上手くなった。
だから。
頑張って作った掘っ建て小屋に過ぎないそれを崩しかねない、変わり種の彼はイヤだった。何故そんな質問をするのか理解出来ないと、選ぶ性別を尋ねられたその瞬間にも自身の考えを誤魔化した。第一、その彼は私たち母子に何もしてはくれなかった。積極的に手を貸さないだけ。村長の孫だから見ているだけでも誰も怒らない。
何もしない。
なんにもしない。
私も彼も、それは同じで。批判する権利なんてないんだけど。
だって、立場が違い、お互いの利点は重ならないのだから、庇うのは馬鹿げている。行為に手を貸さないことは追求を免れても、私にあれ以上寄った時点で大きな問題になってしまっただろう。
だから。
だから、何遍考え直しても、私を助けた理由がさっぱり分からない。
嫌いと言った。全くそうだった。私だって私という存在に対してああも真っ直ぐ否定をぶつけてくる奴がイヤで仕方なかった!
印は、二人の額にある。六代国王候補は二人いる。一人が死んでも一人が居る。
でも、印持ちを、神に選ばれた王候補を死なせかけた行為自体で彼が一体どんな裁きを受けることか。
なのに、困ったことに。
彼の苦境を差し置いて。
助けた理由が何かもどうでもよくて。
手が差し伸べられた事実が、今までのどんな酷い仕打ちも全部帳消しにするぐらい、嬉しくてうれしくて、たまらなかった。
どうしようもない、馬鹿な話だ。
*
夢の中で散々ぱら反省を重ねたおかげだろう。再び意識を取り戻した5日後の今日には、綺麗さっぱり「私が死にかけたのは王息殿下のせいです」など訴える気はなくなっていた。ローニカは渋い顔をしていたし、忠告もされたけれど、告発はしない。しません。
そう、夢で感じた情けない思考群は反省以外の何物でもない。
結局の話。
私は自分で思っているほど村での仕打ちを無関心で通せたものではなく、むしろ大層痛みと辛さを感じていたのだ。
ずっと見ないふりの強いふりで通していたから色々ズレが生じた。そこに今度は父母の評を薄膜とせず直截な、私自身への厭味と皮肉が降るようにやってきた。直接的という不慣れはあるにせよ、基本は村での応対と同様にいけるはず、なんて皮算用したのが決定的な掛け違い。
せめて掛かっている負荷を自覚していたら、地下湖にノコノコ付いていったり、薬物混入酒飲んだり、消極的かつ積極的に命を投げ出すものか。もっと「私可哀想!!」と同情して慰めて不幸に酔って悲劇の主人公を気取って、心理的な重荷を解消していたに違いない。人間、最後の味方は自分自身だ。それを、「もっとやれる全然大丈夫まだまだいける」と蹴飛ばし続けてどうする。
つまり全部ぜんぶ、まるっとぜーんぶ、私が自分自身を把握出来てなかったのがもう決定的に駄目。
――――正直こいつ、すごくイヤ。
彼に出会って間もなくの私の感想だ。
大体、ここからもうおかしい。厭なら、どうしようもなく厭わしいなら、継承権もない王子の妄言なんか話途中でも素知らぬふりで立ち去れば良かった。何を会うたびご丁寧に最後まで言い分を聞いた上で無視したりひっぱたいたりしてたのか。場合によっては歌いもした。あるいは、彼が居ることに気付いていたのに詩歌披露会に参加もした。不出来な作品を作ったら何を言われるか分かったもんじゃないというのに、だ。……まあ、うん、ものすごく褒められたけど。意外なことに。
……とにかく。
遠回しな自殺に彼は、タナッセは、付き合わされたようなものだ。何かと彼の憎しみを煽っておいたのに最終的には救けられて告発、とか有り得ない。しかも二度も死にかけなければ己の愚かさに向き合えなかったので、二重三重にごめんなさいしかない。でもどっちかというと感謝をしたい。
私には、いっそ死んでも構わないとすら考えた存在を、憎しみも手放さず命を救うなんて出来そうもなかった。いや、絶対出来ないと断言する。
素直に凄いなと、そう感じ入る。
先の詩歌披露会だっておんなじ。
骨の髄まで憎らしく思う生き物の発する言葉なら、褒めたり良い評価を出来る自身はなかった。あれは先月の中頃。広間で行われていた小さなその集まりに参加して、他人に見られながらもようよう作り上げた詩を詠んだ時。披露会参加者は鼻白んだような空気に包まれ、――今だから白状してしまうが、かなりこわかった。タナッセの声で場の流れが変わってほっとしたのだ。
というか、待って。やめてほしい。自己に対する怒濤の自覚だけでも目一杯混乱しているのに、今まで「まあ分からないところもないよ……やっぱり理解出来ないしこいつイヤ」枠だったのが、一気に私的情勢が変わりつつあるのは、許容量越え。無理。
ない。ないったらない。ないものはないの。
柔らかい寝台の上で頭を抱えていると、来訪者の旨告げられる。誰だろうと首を傾げるより先に、
「タナッセ様です」
感情を強いて消したローニカの声が名を告げた。
今来るな。
よっぽど言いたかったが、ここで追い返したら取り返しが付かないような強烈な予感がして、通して、と頷いてしまった。
部屋に入ってきた彼は、意気消沈していた。話に軽快さはなく、歯切れも悪い。表情はまるで冴えなかった。挨拶に辛うじて憎まれ口を叩きはしたが、切れ味は鈍すぎる。自分のグズグズ加減を横殴りで気付かされた身なので、本来ならキツい文言は全て心に突き刺さるだろうし、表情なく耐えたりするのも難しいはずだ。
だというのに、思ったのは一つだけ。
ただ、私はそれを言えないまま、苦渋の顔が罰を与えろと言い募っている。でなければせめても自分が着の身着のまま城を出て行き永久に姿を消すことで自罰しようと。
「…………。私の弱さに、お前を巻き込んでしまった。……すまなかった」
どうしてタナッセが謝る。ああいや、形式上は私が殺されかけて九死に一生を得た状態なんだ。そもそも、
――――私の弱さに、お前を巻き込んでしまった。
そんなの、同じだ。傍で見れば悪いのは確かにタナッセだけど、……分かりにくい分、自覚もなかった分、私の方が質が悪い。有り体に言えば、私はタナッセに自身を殺させようとしたも同然なのだし。けれど……おそらく言ったところで彼の主張は変わらないだろう。
ならもう、いいじゃないか。
全部、いい。すまなかったも、ごめんなさいさえも。
何も要らないから、
――――手が差し伸べられた事実が、今までのどんな酷い仕打ちも全部帳消しにするぐらい、嬉しくてうれしくて、たまらなかった。
全く別の気持ちを言うから、それにこたえてよ。
タナッセは既に席を立ち、扉の前まで進んでいた。背だけが私に向けられている。そんな馬鹿しないでいいから、私の馬鹿な話を聞いて欲しい。
5日間まともに使用されなかった喉から出る音は我ながら耳障り。それでも彼は私の一言で振り向く。驚愕の瞳が私と真っ直ぐかち合った。今日初めて視線を交わしたように思う。不理解の驚きが瞳一杯に広がる彼は、引きつった笑いと共に寝台脇の椅子まで戻ってくると、急に力が抜けたような様で座った。勢いが良かったのか、椅子が小さな悲鳴を上げる。いつものタナッセらしからぬ動作に戸惑い、うわ言のようにこちらの正気を疑う声に耳を傾ける。
「どうした、頭の線でも切れたか?」
ある意味では。
「それとも何か、そういう嗜好の持ち主だったのか?」
言ってる意味がよく分からないかも。
「言い間違いか。そうだな」
いいえ。
「それとも聞き間違いか。ああそうだ」
いいえ。
「そんなことがあってたまるか!」
……うん、理由も意味も告げていないんだから、こっちの感情変遷なんて分からないんだし、そうなるだろうな。
そして、しばらく呟きに近い音で何事か言うが、突然叫んだ。
「な、何とか言え、貴様! 間違いなんだろうが!」
思考が一周してきた。色々長らく考えてたみたいだから、何かタナッセの中で納得出来るだけの要素が見つかったと思ったのに。しかも彼は復讐の一環だろう留まり生き恥をさらせと言うことか、なんて、言う。言った。
好きだから訴え突き出す事なんて出来ないと私はタナッセに伝えた。出て行ったりしないでいいから、とそうも口にした。好き、は方便なんかじゃ決してない。あんまりにもあんまりだ。唇が尖るのも、眉尻が下がるのも、意志ではどうにもならなかった。
感情を荒げっぱなしの彼の頬は段々赤みを帯びているが、同様に声量も大きくなって行っている。
「ああ、承知したとも! お前がそれを望むのならば、従ってやろう」
「え……」
どういう流れで彼はその結論に至ったのか。タナッセの宣言に思わず気の抜けた音が口から漏れた。極めつけは、
「何でも……」
一瞬詰まり、「……何でも、してやる」
そんな、今までの強い語気からは想像もつかないほどの穏やかな一言だった。
タナッセはそのまま部屋を去ってしまったが、多分。
出奔は、取り止めてくれているだろう。
……ひとまずはそれでよしとしないと。
追いかけたくても身体はいまだ重くて、関節も力が入らないのだ。早く身体を元通りにして、こちらの意の一部だけを汲んだ残留宣言と――最後の一言の真意を確かめに行かなくては。
顔をそんなに朱くされると、万が一を、ほら、考えたくなってしまうから。
【 /0 】finally/黒
雨の中庭には二つの人影がある。
一つは小さく、一つは大きい。小さい方の視線は大きい方の顔に向けられ逸らされないが、大きい方は顔こそ小さい方へ向けられているものの視線は一定しない。
大きい方――タナッセ・ランテ=ヨアマキスは視線以外も落ち着きがなかった。どこがという具体的なものではなく、纏う雰囲気が戸惑いに満ちているのだ。理由は明快だった。自身の言動がいかにも不似合いに過ぎたので、気後れしたのだ。タナッセは小さな人影の細い髪に小さな手指に自身から触れ、心配などしてしまった。
月の初め、彼は眼前の小さなこどもに魔術師を伴ってある儀式を仕掛けたというのに、こどもはそんな彼を赦し、どころか愛を囁き笑顔で彼の下にやってくる。儀式で命を奪われかけたにも関わらず、だ。
それまで彼がこどもにしてきた否定など生温くかすむ行為に、自分も大概だったから仕方ないと困り顔で小首を傾げる。全く理解が出来なかった。それこそ、告発されなかった代わりにかつてのヴァイルのような対応をされるのも覚悟してこどもの部屋を訪れたタナッセにしてみれば、天地が逆転するより驚愕せざるを得ない。
だが、驚こうが、赦しと愛の告白に朝から晩まで悩もうが、こどもはおかまいなしに彼の傍にやってくる。人目があろうと気にも留めず。詳細はともかく重大事が両者の間で起きたことは城中に知られているのだ、と彼が気付いていない訳もないが、ただタナッセを瞳に映して上機嫌に寄ってくる。頬の上気は目の錯覚だろうか。
先日はこどもを突き落とした地下湖にまで怯まず着いてきた。怯まないのは場所へのものだけではない。彼の護衛の巨漢を使った命への脅しも、彼自身何をとち狂ったのかと今でも恥ずかしい性的な脅しにも、だ。――残念ながらタナッセは一瞬にも満たない唇の触れ合い程度では、諸処の感覚がない未分化には今ひとつ伝わらない事実を失念していたが、なんにせよこどもは今日も雨の中彼を追ってこの場までやってきたのだ。
しかし本当に、
「どうしてこんな無茶をする。雨除けもつけずに、城から出てくるなんて」
問うと雨に濡れ、色の褪せた柔らかい唇が幾度か迷うように開閉を繰り返す。やがて眉尻の下がった上目が言った。タナッセを見かけたら身体が勝手に動いたのだ、と。それに好きな人と一緒に居たいのは当然とも付け加える。
だから、どうしてこのこどもは胸を貫くほど率直なのか。
だが、どうしようもない。おそろしいほど無垢な瞳がタナッセを映すたび、二人目の存在が知らされて以降胸に刺さり溜まっていたあらゆる不満と不安がかき消え、むしろ真逆の感情となって彼を呑もうとするのだ。今もまた、先程一度は離したこどもの指に、手に触れてしまう。するとこどもはさすがに目を丸くした。だが指先は酷く冷え切っていて、タナッセは今度こそ、少しの固さをそこかしこに持つてのひらを包み込む。あたためようとする彼の手すら凍える冷たさは、瀕死のこどもを抱えた記憶を刺激してきて、けれど今、こどもは彼をじっと見上げて微笑んでいた。
責任だ、と内心タナッセは思う。
自分はやはり、手の中の段々ぬくもりが戻ってくる小ささに対して、責任を取らねばならないだろう。というか、取って当然なのだ、と一人頷く。別に、目の前の存在に絆されたものではない。地下湖での口づけは危険性を知らせるものであり、しっとりした唇に目を奪われてもいない。……そういうことにしておかねば、雨の中庭は人気がなく、既に手の届いている距離に立つこどもは頭が痛くなるほど無防備だった。
小柄な身体を見下ろすと、タナッセですら折れそうな細く薄い肩が僅かに肌色を透けさせていた。
いや責任だ、と彼は心の中首を横に振る。
彼のような男にすら絆されてしまうようでは先が思いやられるから、守ってやりたいと――タナッセはまた否定の首振りをして思考し直す。守らねばならないのだ、義務である。
全力で義務を肯定するタナッセは、それでも一言零してしまう。
「本当にろくでもない奴だ、お前も、私も」
なのにこどもは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
【 /0 】tale/extra
青草の香り。
土埃の匂い。
小鳥の鳴き声。
木々の囁き声。
鹿車の外からやってくるそれらは城にいた頃感じた自然とは感触が違って、ああ新たな場所に来たのだなと急に実感が強まった。幾度か城の外に出た経験はあったが、それでもやけに新鮮を覚えるのは、彼にもたれかかる小さいがとてつもなく大切な女性の存在のためだろう。二度目の休憩ののち、ずっとこうして眠っている。
本来であれば彼など鼻にも掛けないほど頑健な身体を持っていたはずの彼女は今、ひとときに比べ改善したもののかなり疲労しやすくなっていた。気遣いの言葉をかけると、彼女は何か楽しげな眼差しで混ぜっ返したり、時には素直に喜んだり、あるいは恥じらいの表情で――邪念が混ざったので彼は思考を取り止めるため暗唱できるほど染みついた修辞学の用語や技法を頭の中に並べ始めた。しかしどうにも効果が薄い。何しろ今回の道中で幾度となく繰り返した行為なのだ、抵抗も付くと言うものだろう。これというのも無防備に重みを預けてくる彼女のせいである。鹿車が大きく揺れるたび、喉を小さく鳴らしたり、吐息をわずかに強く零したり、意識がないくせに……いや意識がないからこそ表れる最早犯罪の範疇だろう蕩けた甘さが非常に辛い。
彼が再び思考の海に沈みかけた時、原因が身じろいだ。んぅ、と一度身体を丸めるような動きを取り、けれどゆっくり身を起こす。頬に貼り付いた一筋の髪が肩に落ちた。未分化だった頃に比べ密度の増した睫毛が伏し気味の目にかかって妙にしどけなかったが、指の当てられた唇から転がり落ちた呟きはあどけない。
――はな。りねくもも。
なんのことか問うと、香る、とだけ返った。目覚めきっていないのだなと思いながらも合点はいく。今日通る道にはリネク桃の有名な群生地域がある。今時分は確かに花の頃だろう。寄るかどうかを一応尋ねてみるが、頭を重そうに振って彼に抱きつき、こんな遠いのに懐かしいなって、と囁いた。
「――――」
虚を突かれた、と彼は思う。何故そうまで衝撃を受けたのか自身でも理由を知れず、分からず思い、しかし何を言うより代わりに無言で抱きしめ返す。そうすると辺りに漂うのは外の雑多なにおいではなく、腕の中の女性のたしなむ香だけになる。彼女が好む柑橘の香は、彼の肺腑を甘酸っぱく満たしていった。
*+++*+++*+++*+++*+++*
▽
タイトル元ネタ:
「演目披露」第4弾2曲目
『印章は白と黒(武蔵配送業組合1648年度CM音楽)』でよくする誤字。
歌詞の内容はあんまり関係がない。
(というか仮題はsasakure.UKの「ロストエンファウンド」)
▽
今回湖に道連れにしてませんが、
そもそも武勇低めでタナッセに投げ返した本を受け止められるステータスでした。
武勇20くらい。
▽
真面目に名声上げてくれるタナッセは、ある部分においては
こいつが王になればヴァイルが城から解放されるとか考えていたんだろうか。
それともあるいは……とか、
婚約しないとor破棄すると「不穏」が起きない
(当然「神の業〜」も起きない)のは……
っていうだけで妄想が広がると思います。本当に。
▽
今回用のプレイをしている最中、印友・好友で遊んでいました。
おかげで一度「緊急の手段」が起きなかった。
あと、何故か緑の月と青の月が順番入れ替わります。
白緑青白緑青……。
初期は章題横の色が白「青緑」になってました。
まあ他にもたくさんミスがある。
▽
本編再構成SSは気力さえ無問題なら
また切り口を変えて書きたいものです。