●小ネタ 02

タナッセ×主人公





Dream's a dream
 下唇をなぞる指があった。
 タナッセの大きな手の、やはり大きな親指が私の唇をなぞっている。
 真剣な彼に思うのは失礼だろうが、唇なんて触って楽しいだろうか。私にはよく分からない。
 未分化だからかもしれない。
「……何を言っているんだ。お前はもう……その、女性になったではないか」
 言われて気付く。胸が膨らんでいて、纏っているのは裾広がりの女性服だ。
 寝台にタナッセと並んで座っているのだ。
 ……いつの間に篭りを終えたんだろう、私は。
 悩む私の顎を、先程までは唇に触れていたタナッセの右手が上向かせる。
「しかしその、なんだ……。これが、正式な口づけということになるのか。以前のものは――、あぁ、すまない。今喋ることではないな。……目を閉じろ」
 よく分からない状況だ。
 分からないが、けれど彼の言うことに嫌な感情は芽生えない。
 だから目を閉じる。
 ふわりと空気が動く気配があって、柔らかくあたたかな感触が唇に触れた。
 地下湖であった一瞬の触れ合いを想起する私は、頬に熱が上がる自分を感じる。
 ただ、あの時はなかった感覚も身体の奥にあった。
「少しで良い……、口を開け」
 その通りにすると、湿ったものが唇に触れ、次いで僅かな間からそれが入り込んでくる。
 舌だ、と冷静に考える部分がある。
 でも、口内をまさぐる湿った熱に気持ちのほとんどは絡め取られていた。
 上あごを、歯列を、撫でるように移動していき、そのたび身体の奥の不可解な感覚が強まっていく。
 感覚は、本当に不思議なものだ。
 気持ちいい、と、こわい、が混ざっていてどうしようもない気分になる、おかしなもの。
 舌は最後に私のそれに絡まった。
 表も裏も、絡まり方を変えて撫でさすられ、……逡巡を少しずつ遠くに押しやりながら、 私は自身の舌でタナッセの動きを真似てみる。
 すると、彼の舌も応えるように動きを変えた。
 嬉しいと、そう思う。
 どうしてか息は上がっていくし、おかしな感覚も同時に強まっていくのに、そんな風に思う。
 何かに縋りたい気持ちが湧いてきたのは、それが不安を誘ったからかもしれない。
 両手でタナッセの衣服を握りしめる。
 彼はこちらの顎に添えていた手を離し、私の後頭部と背に腕を回してくれる。
 幸せだ。
 ただ、本当になんでなのだろう。タナッセはそのままこちらの身を寝台に横たえた。
 そして口を離す。唾液が輝く糸を引いたが、それにも身体の……特に下腹部の熱さは募っていった。
「……その、だな。本当に最後までしてしまうが……いいんだな」
 反射的に肯いた。
 よく分からないが、嬉しくて幸せな行為を最後までする、というのはどうにも魅力的に感じて。
 ふと、そんな私の頭の中に遠くから声が響いた。
 ――知っているはずだ、と。
 ――でも、知らないはずだ、と。
 いや、それこそ真実わけが分から――――

「…………ん」
 目覚めた。今日もよく晴れ渡っていた。
 目覚めた瞬間、一気に先程までの様々に対する理解がやってきて私を飲み込んだ。
 夢だ、あれは。
 夢で、自分はあんな……あんな…………言葉を濁してしかし言い切るが、はしたないことをタナッセにさせたのだ。
 あの夢は、私の願望だろうか。
 だとすれば羞恥で何度も死に絶えることが出来る。
 夢の中とはいえ、私はタナッセを都合のいい妄想に使ったのだから。
 不幸中の幸いなのは、“最後”に行く前に目を覚ませたことだろうか。
 村にいた頃目撃しかけただけで終わったおかげか一応の知識しかない私は、まあどのみち“最後”はあやふやなままだった気もするが。
 でも……しばらくタナッセと顔を合わせることが難しい気がする。
 布団を頭まで被って私はしばらく恥ずかしさに一人身悶えた。





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タイトルはCoccoの楽曲から。
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黒い羊
 仕方がない。
 仕様がない。
 宿らせた諦めは、そう思うごとに増殖していく。交わされた噂が、与えられた態度が、単純な一言で有機的に連鎖していくからだ。膨れあがり、いつしかこちらを圧するだろう様を彼はその日夢で見た。昔はよく見た下らない夢を何年ぶりかに見てしまったのは、胡散臭い人物が先日やってきたせいとしか考えられない。もう一人の寵愛者だという勘に障るこども。王を目指すと城にやってきた日には彼の母に宣言し、実際こどもの勉学の進捗具合は目を見張るものがあった。貴族界隈や使用人界隈の下らないお喋りへの話題の登り方も随分変わった。あるいはもしや、と。
 彼は――タナッセは朝食を取る手を休め、食材のせいではない口内の苦さを噛み締めた。

          /

 仕方がない。
 仕様がない。
 心を幾度もよぎる思いは、なるべく言葉にしきる以前に封じ込める。前を向く思考の、進むための奮い立ての、その背後に常にかすめる感情だ。器用に切り捨てることがかなわないまま、私は諦めの膨れあがりを感じていた。昔は、母といた頃はそんな余裕もなく、日々倒れそうになるまではたらいていただけだったのに。寵愛者となってからは少なくとも日々の糧を得るのに生死を思わず済む。ある種の余裕は別の切実を連れてくるのだと、城に向かう鹿車の中で知った。また、心に余裕があろうとも、陰口への腹立ちも、厭味や皮肉への苛立ちも変わらないと言うことも思い知らされた。
 いや――並列して述べはしたが、彼らと彼は大きく違う。
 少なくとも彼――タナッセ・ランテ=ヨアマキスは真っ正面から私に文句を付けるのだ。……それだけはまあ、評価しておくべきだろう。だから今日は先にこちらから退くことにした。朝の広間に彼の姿を認めた私はローニカに朝食を部屋で取ることにした旨を謝罪と共に伝え、元来た方向へ戻り行く。
 朝の時間は大切なのだ。夜の寝台で向き合った厭わしい思いを整理するためには。
 降りそそぐ輝きが爽やかだなど、それこそまるで夢見るような考えだ。





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英語の慣用句なのでblack sheepと書くべきですが、日本語で。
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※名前も台詞も印の有無も出ませんが子供ネタなので注意※
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おうさま おうはい こどもさま
 子供が生まれた時、彼と彼女は決めごとを一つ作った。
 正確を期するなら、言い出したのは六代国王であり妻である彼女で、無理でない程度にと釘を刺したのが、王配であり夫である彼――タナッセである。そして今日、彼女は決めごとを守るべく月が太陽へ変わりきる以前から仕事を処理しだした。
 陽光が地平をくまなく照らす頃に残っていたのは、謁見の予定及びそれに伴って持ち込まれる新規事案に頭を悩ませるぐらいだ。しかし全てを迅速に、時間は一度もおさせずむしろ巻き気味にこなしていく。何しろ食事休憩すらまともに取らないのだから、至極当然とも言えたが。侍従達は働き者に過ぎる王に口を差し挟む。だが、この日の彼女が聞き入れた前例は今までの四年で一度もなかった。今年も同様である。
 果たして、太陽が月へと移り変わりきるのを待たず、王は全ての判断を終え、至急の対応も捌ききる。決めごとの時刻まで間もないと知らせる鐘が鳴ったのは、ほぼ同時。慌てて彼女は王らしい華やかな衣装を引きずり走り出した。向かう場所など言うまでもない。夫と子供の待つ部屋へ行くのだ。

          /*

 待ちくたびれてぐずり出した子供をなだめ叱りながら、タナッセは彼女が華奢な身体を覆う長たらしい衣服を重そうに鬱陶しそうにしながら廊下を走っている頃だろうと考えていた。普段あまり共にあれない母と、何に気負うこともなく長時間いられることに喜びすぎる二人の子は、あまりに早くから待ちすぎなのだ。遅くなる可能性はあれど、早くはならないだろう。――子供が生まれて四年、遅れた試しなどないのがおそろしいが。とはいえ、彼も今日の日のために各所へ掛け合うなどして仕事量は出来うる限り減らしてもいるのだが。
 ともあれ、子供がぐずりだしてすぐに彼女はやってきた。お誕生日おめでとう、と幅広のリボンに口を閉じられた一抱えもある袋を抱えて。
 毎年まいとし、馴染みになってしまった光景だ。袋を受け取る頼りない子供を愛らしく感じ、差し出す妻の笑顔を愛しく思いながら、かつての約束をタナッセは思い返していた。
 子供が生まれたその日、疲労からか少し青白い顔の彼女は会話の途中で小首を傾げた。タナッセはリリアノと親子らしいことをした経験が薄いと聞いていたので、これからのこを少し心配している、と。そして彼女は言ったのだ。典礼が神殿や王城の……公的なものだけなど誰が決めたのか。
 つまり、今日この日を二人の子供が生まれた、誕生した記念の日にしようと、彼女は提案してきた。一年後の、二年後の、あるいはもっと先の同じ日を、ずっとずっと三人で祝っていこうとタナッセと眠る子供に笑って言った。光景は彼の眼裏に自然と浮かんで来て、彼女の手を強く握り、握り替えされて――そうして五年目の今日この日にも、違えられずかつての決まり事は執り行われている。早めの夕食を常より少し豪華に、けれど子供の好みに合わせて食べ、思う存分遊ぶ。無論、警護の観点から部屋の外へ出ることはかなわないが仕方のない話だ。
 しばらくして子供が船をこぎ始める。毎年変わらぬ楽しい時間の、終わりを告げる動きだ。来年の今日を気ぜわしく尋ねる子供をタナッセと妻は二人で寝台に寝かせ、微笑んだ。もういらないと子供が言うまで、彼と彼女はずっとずっと、続けていくし、続いていく。大切にたいせつに感じているのは、何も子供だけではないのだ。おやすみ、と眠たげな声が目を閉じた。





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立ち位置色々落ち着いてから出来た子供、というイメージで。
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初恋はちみつ
「……う」
「むっ!」
 前者はタナッセのうめきで後者は私が眉を浅く立てたために漏れた声だ。回廊で私と彼は鉢合わせしたのだが、いつものようにあちらは逃げ腰。二度目の告白をすればこけつまろびつ部屋から出ていき、地下湖では唇を合わせてきて、そのくせいまだに逃げ回ろうとするのだから全く困る。
 私が小走りに寄っていくと、大柄な護衛が前に出てきた。しかしそれは何度も経験している。いつも通りモルに抱きつく。当然のようにタナッセは戻ってくるので飛びつこう。
 そんな算段はあっけなく弾け飛んだ。あちらも毎度のことで対処になれてきたらしく、一向に裏をかけないまま時間だけが過ぎていってしまった。……多分、タナッセは逃亡成功。肩を落としてモルから距離を取ると――回廊の曲がり角辺りに、揺れる薄青の布地が目に入った。疑問で瞬きを繰り返す私の様子に無表情の衛士も首を回して後ろを見やった。あ、好機。
 隙を突いて駆けだした私に慌てる気配があるけれど、せっかく彼が逃げず留まってくれているのに捕まるなんて出来るはずもない。ないのだが、モルの脚に勝てるかどうか。どうしよう?
 考えていたら足元への意識が甘くなったらしい。普段なら気にもかけない微かな引っかかりに爪先が捕らわれ、現実は非情なので考え事をしていた私が体勢を立て直すのも無理で、つまりは転んだ。
 かろうじて血が出るような傷は避けたものの、全身に広がった衝撃が大きかった。生まれたての兎鹿に似た動きでうつ伏せから土下座に姿勢を持って行き、しかしそこで一休み。……痛くはない、ということにしたい。痛いけど。
 石の床の冷たさと土埃のにおいを堪能するのは、けれどすぐに終わった。
「莫迦か! 調子も戻りきらないのにモルに対抗しようとするな、お前は! その上で走るとは本当に莫迦だろう貴様!!」
 ほのかに苛立ちを誘う叱責が、実際のところ心配10割の大声が、間近から聞こえたからだ。声の主、タナッセはうずくまっていたこちらの上半身を起こした。そして私の顔や手、膝などいかにも擦りそうな部分に視線をよこす。顔も膝も問題はなかったようだ。彼はてのひらを取ると、こで柳眉を歪めた。
「ああやはり手は駄目だな、血は出ていないようだが……念のためだ、医務室に行く」
 行くぞ、でも行くか、でもなかった。思わず感嘆の声を上げそうになったがハタと我に帰る。
 タナッセは今私のてのひらに触れて傷の様子を確認したわけだが。
 それは。
 つまり。
「…………ん」
 息を詰め、思わず私は空いている方の手で自身の唇に触れてしまった。いやまあその。さすがに唇に、と考えたものじゃない。顔に擦過があれば、触ってもらえ――えぇと、触ったのかなと、脳裏をよぎったのだ。我ながらちょっととち狂った思考だとは思う。恥ずかしい。恥ずかしすぎて手元に本があったら投げつけたいほどだ。
 と、針を刺した時のような痛みが手からあることに気付く。いつのまにか伏せ気味だったらしい瞳を上向けると、タナッセが顔に熱を集めていた。次いで、彼の手の内にあった私のてのひらが軽く握り混まれているのが目に入……ってそりゃ痛いだろう。とはいえ指摘するほど酷く痛むのでもなし、顔を赤くした彼に何を言えばいいのかもよく分からないし、困って首を傾げた。
 互いに次の一手が出せず、人の気配を感じたモルがそれを知らせてくれるまで、固まっているしかないのだった。





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荊を解くのは彼だけの
 わがままを言う割に、わがままを言わない。
 矛盾する言い回しだが、間もなく妻になる婚約者について、これが彼の忌憚ない評である。
 彼女は彼、タナッセが羞恥で座り込みたくなる要求を頻繁に口にする。ねだる。しかしあまり説教を重ねると明らかに落ち込んでいる表情と力ない声音で反論してくるので、結局応えてしまうのだが。
 たとえばだ。未分化最後の日に横抱きにしたことが余程嬉しかったのか、篭りを終えてから幾度も頼まれて、その度実行してしまう。抱きしめられると安心すると身を寄せてくれば、背に腕を回してしまう。甘やかしている自覚はある。
 かと思うと、彼女はそういった恋人としての行為以外に対し、驚くほどの無欲さを見せた。
 先日の話だ。邸宅の内装をどうするか尋ねた際、侍従や護衛の選別に意見を求めた際、出された要求はたった一言。
 タナッセが好きなようにして欲しい。
 好みや信頼などあるだろうと言ってみても、比較的好む色味と沐浴は一人で行いたいという二点だけが返された。
 生活全般に対してこだわりがないらしく、食事や衣服に関してさすがに城と同等の代物は用意出来ないと伝えた時も、不満も漏らさず肯くだけだった。衣服などは、女性に分化してから細かい刺繍やレースの付いた華やかな型を好んでいる様子であり、残念の一つも口にするだろうとタナッセは思ったのだが。疑問すれば彼女は呟いた。
 城も村も同じだから。出て行けるだけで、こうして気遣われているだけで。……自由なだけで、もう。
 よく考えれば、彼女はさして裕福でない村の、しかも母子家庭の出なのだ。言葉の端々に浮かぶ村での扱いと合わせれば理由は問わずとも見えてくる。本来、この無欲さこそが彼女の当たり前なのだろう。
 なら、やはり彼女のわがままは受け入れるしかない。それは彼女の甘えなのだから。タナッセに向けられた――タナッセ一人にだけ、向けられた。





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とくのです。ほどくだと語感がちょいアレなので。
また、塔繋がりということで、「世界の果て」対応タイトル。
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展翅蝶
 腕の中には、夜目にも白い細身が収まっている。
 万一にでも風邪をひかないよう夜着を着直すよう口を酸っぱくして言っているのだが、大体余韻に浸っている間に妻は夢路を辿っており、つまりは今夜も彼女の裸身を隠すのは夫である彼、タナッセの役目だ。
 どこに触れても柔らかい身体を布地で包み終えると、また気持ちよく目を閉じる肢体を横たえ抱きしめる。すると、小さく鼻を鳴らしながら彼女の方も彼に身を寄せてきた。
 いや全く、と喜びを覚えながらもタナッセはあの日から何度目になるか知れない疑問を脳裏に浮かべる。こんな、下らない男のどこがそんなに良かったのか。
 城での噂通り、彼には何もない。リリアノとヴァイル、二人の印持ちが身内にいながら彼自身の特筆すべき能力はまるでない。公明正大なリリアノと人懐こく明るいヴァイルに不機嫌顔で皮肉をまき散らす彼がそろって並んだとして、一体どれほどの人間がタナッセを選ぶというのか。
 成人してしばらく経つというのにひどく幼い寝顔は、安らぎに満ちている。見詰めるたびにたとえようもなく胸が苦しくなり、最近は詩作にもかなりの影響が見られるようになった。いや、厳密にはあの日、――まだ彼であった彼女が、途方もない赦しと愛情をタナッセに訴えたその日からだ。中庭で詩の着想を得る散策をするたび、羽筆を持つたび、浮かぶのは一人のことだけ。
 故に一作、彼女のことしか語っていない詩歌を作り上げた。……結局現在に至るまで彼女の影が強い作品が時折生まれているが、仕方のない話だろう。互いに存分に愛し合った直後の今ですら、まだ彼女と深く繋がりたい欲求がくすぶっているぐらいだ。
 タナッセが妻へ向ける感情は、いっそ狂おしいと形容しても過言ではない。
 だからというか、件の一作の初稿は、少々過剰に美辞麗句の並んだものになった。彼自身頭を痛めたので、師であるヤニエ伯爵に送る前に自分で改稿を繰り返し、抑えに抑え、だが師には丁寧な赤入れを受けた。
 ただ、褒められた部分もある。従兄に詰められたせいで徹底的に不得手になり、比喩に用いることも少なかった種類の生き物を中心に据えたことだ。
 元々は、アネキウスにも繋がるとして鳥にしてあったのだが、当のこどもの頼りない危うさに食い違いを感じたため、書き直した。一週間寝込んでいたためだろう。あの頃の足取りは不安定で、タナッセのことだけを視界に収めてやってくると、僅かな引っかかりにも足を取られそうになっていたのだ。気を抜けば駆け寄って手を差し伸べてしまいそうなほどに。
 加えて、無体を強いた男へ瞳を輝かせてやってくる小柄は、どうにも儚さを覚えた。纏う衣装も女性となることを意識していたのか、以前に比べ華やかな装飾が増え、彼の頭の中にはある小さくも繊細な紋様を持つ翅がよぎったのだ。
 そしてタナッセの腕にあるあたたかみを見やれば、やはり正しい判断だったと思う。元から綺麗な面立ちではあったが、分化し女性を選んだ彼女は同性の貴族ですら思わず見とれる麗しさを手に入れていた。そのくせ、こどもの時分から変わらず、放っておけない何かがある。……絆されて、気付くと彼女の甘えを聞き入れてしまっているのは度し難いと感じることも多いが。
 だが、
「……タナッセ」
 寝言でさえも、甘くあまく。
 彼の名を呼ぶ声音を耳にすると、度し難くとも構いはしないかと考えてしまうのだった。





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blue bird
 どうしようかと考え初めて、もうどれくらい経ったろう。
 痛痒い感覚と共に汗を背中にかきながら、私はしゃがみこんで鳴く小鳥を見ていた。羽をばたつかせているけれど飛べずにいる。……前々から中庭の木に鳥が巣を作っているのは知っていたものの、見上げてみても声は聞こえず姿も見えず、つまりこの子は独り立ちに失敗したのだ。
 よくある話だった。生まれた子供全てが大人になれるものじゃない。人間でもそうで、家畜でも同じ。なら野生の生き物はなおのこと、なのだ。なのだけれど。
 膝が痛い。曲げられた膝に乗せた手が爪まで白く、お気に入りのドレスにはおかしな皺がよってしまっている。眼球の乾きは、瞬きを碌々していないせいだろう。
 私たちは性別を選んで大人に成る。
 鳥は空を舞い自分で餌を調達する。
 それが出来なかったというのは、理由などどうだってよく、感情すらも関係はなく、ただ淘汰されたに過ぎない。十四年自然と共に暮らしてきた田舎者にはよく分かっている。なのに私は固まったまま考えている。一つだけが頭の中を巡っていた。
 ……どうしよう。
 具体性は皆無。というか、長々悩んでいる暇があったら手を差し伸べるか、あるいはとどめを刺すか、動いた方がいい。特に、後者を選ぶのなら。いたずらに苦痛を長引かせるだけだ。
 空には柔らかい雲がいくつも浮いていて、アネキウスは心地よい暖かみを満遍なく地に照らしているのが煩わしかった。一応、躊躇いの背景を私は覚えている。私が村であまりいい扱いを受けていなかったための起きてしまっただけで、だからあれを持ち出して迷う意味などないということも、だ。
 でも、と続けてしまいたくなる心を、なら、と更に続けたくなる心と共に立ち上がることで切り捨てた瞬間、
「……どうした、何かあったのか?」
 気遣いを含んだ優しい問いかけがやってきた。この屋敷で私に敬語を使わない存在など一人しかいない。夫で領主のタナッセだ。そして、唯一私が色んな意味で勝てない人でもある。
 振り返ると、私の重たげな印象を与えるそれとは真逆の涼しげな瞳が心配そうに細められていて、単語が零れてしまう。鳥が、という一言と、思わず向けてしまった地面への視線だけで意味するものは割れてしまった。
 なんというか。夫婦になった経緯のせいか、タナッセには上手く隠し事が出来ない。今のような、彼に害ない小さな内緒も失敗しがちだ。
 彼は地面に片膝を付くと、取り立てて美しくない色味の小鳥をしげしげみやる。
「羽の部分の骨が折れてしまっているな、これは。だが、鳥文屋のところにでも連れて行けば、愛玩用にお前が飼うくらいには治るだろうよ」
 あぁやっぱり折れてるのか、と悩みながらずっと遠巻きにしていた私はぼんやり思ったが、後半の言葉に勢いよく首を振った。もちろん、横に。ほとんど反射だったから我ながら驚く。タナッセも力のこもった否定に怪訝の色を顔に刷いた。
 咄嗟に言い訳が出かける。私自身信じられそうにない内容だったので、もっともらしい一般論と共に喉の奥で潰したが。
 代わりに、言う。
 手当は出来る。する。したい。……飼いたい。飼っても、いいだろうか。
 当たり前だと即答される。土豚を飼いたいとでも言い出したらさすがにやめさせるが、と付け加えられた。鳥の一羽程度、確かに貴族にはなんてことないだろう。でも、すぐさま肯かれたことで安堵が全身に満ちる。
 私は息を漏らしながら、タナッセの隣に改めて腰を下ろした。羽ばたくためにもがく小鳥を助けようと両手を広げて、あ、と間の抜けた音が口をついて出る。手が、震えている。
「……私が代わりに」
 タナッセがこちらの肩を抱いて提案してくるけれど、大丈夫と肯く。掬うように茶の小鳥をてのひらにおさめると、意外にも大人しくいてくれて、また安堵に息をつく。
 部屋までの道すがら、寄り添ってくれる彼に昔の話でもしようかと思う。でも、別にいいかなと心地よい体温とてのひらのぬくもりを感じながら口を閉じた。
 今度は殺されることは絶対にない。何も出来ないまま遊ばれる様を見なければならないことは、有り得ない。なのに引き合いに出したら私がタナッセを信頼してないかのように響くだろうから、私は私の極端な否定の背景を無理矢理聞き出そうとしないタナッセの気遣いに、甘える。てのひらの中、小鳥が鈴を転がす声音で鳴いた。





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姫早百合の庭
 低俗で生意気で礼儀知らず。
 対応は無視か暴力、そしてごく稀にあるのは無闇に回る口先。
 外見も大概で、子供の可愛げなど微塵も感じられない薄い表情と冷たい双眸。
 知り合う前から憎悪を重ねた相手は、会っても変わらず憎たらしかった。拒絶の、否定の、不理解の――負の感情だけがあった。その筈だった。あの瞬間までそう思っていた。もしこどもが積み重ねてきた印象を打ち砕く愚かきわまりない選択をし、一言を口にしなかったなら、彼らの関係は今でも不毛なままだったろう。
 件のこどもは少し視線を下げ、やはり内面の伺えない表情で回廊を曲がって彼の、タナッセの元へ歩いてきていた。
 周囲に誰の気配もないと確認した上でタナッセは声を掛ける。途端、花の笑顔が彼へ向けられ蜜の響きが名を呼ぶ。未成年相手ではあるが可憐と言うより綺麗な存在だと、陽光に照らされたこどもが彼の元へ小走りにやってくる短い間、見とれた。不覚だと思う程度には理性的だが、近くの客間で休まないかと誘う程度には感情的だ。笑みを濃く深くして、眠たげにも見える伏し気味の黒目が喜びに見開かれると陽光を取り込み貝紫色が混じる。こどもの瞳は濃く深い黒だが、そのせいか光の加減で他の様々な色が浮かび、上質な宝石のようだった。輝きはリリアノやヴァイルに似てよく晴れた日の湖面の強さながらも、二人と異なり相手を射貫く強烈さはない。ただ意思の強さだけを感じる。
 こどもは普段の大人びた様子を引っ込めたあどけなさで申し出を短く肯定し、ぎこちなくタナッセはてのひらを差し伸べた。正直に言えば彼にとって羞恥しか生まない行為だ。だが、こどもはこの上なく喜ぶ。先日の雨の中庭で言われたことだ。
 タナッセが触れてくれると安心出来る、ここに居ていいんだと、居るんだと感じられる。
 故に恥ずかしさを押し殺してこどもの手を待ち、果たして手の上に指先がちんまりと乗った。かつてタナッセの頬を強く叩いた印象と重ならない、随分と白く柔らかくなったそれに、ふと当時の記憶が思い起こされる。叩く直前、ほんの僅か垣間見えた生の表情。泣き出す一歩手前の気配を持った目の見開きと口の引き結び。けれども今浮かべられた表情は正逆で、なのにどちらの顔もおそらく城の中の誰も見たことはないだろう。タナッセ以外の誰も。
 ふわりと両端の持ち上がった唇に、一瞬目が行ってしまう。色々と切羽詰まった挙句唇を重ねてしまった記憶のせいだ。骨の形すら分かる華奢さと対照的なふっくらした感触が、刹那の接触であったにも関わらず、いやに現実味を帯びて思い起こされる。
 溜めても仕方がない、むしろ未分化に対して溜めるべきではない熱をそっと吐息に変えて、タナッセは客間にいざなった。
 というか最大の問題は、とこどものために椅子を引きつつ考える。
 最大の問題は、こどもが、あの時したし私も抵抗しなかったのだから何が問題か分からない、と真顔で返してきそうなことだ。
 未分化相手には口づけすらも本来してはならないと考えているが、変なところで口の回るこども相手では言葉を重ねれば重ねた分だけ泥沼に嵌っていくような気もしている。胸を張ってさも賢いことを言ったと眉を浅く立てて笑んでいる様が目に浮かぶようだ。
 ……最近思うのだが。彼は少し――いやかなり結構、お莫迦な部分がある。しかも自覚はない。まるでない。そしてタナッセにしかお莫迦の部分が向かない。なのでより一層タナッセの側が気をつけてやらなければならなかった。そこがまた年相応で愛らしいとも感じてしまうのは欲目だろうかと彼は吐息する。
 こどもの中においてタナッセは何もかもが特別で、特別に気付くたびタナッセは不可思議な気持ちに包まれた。アネキウスの采配は全く人の身には理解が及ばない。二人目を作ったこともそうだが、その二人目が目の前で茶を飲みながらくつろいでいることも冗談じみていた。薬を盛られたばかりなのに、こどもはなんの警戒もなく飲食している。表情は変わらずにこやか。むしろ幸せの気配が増していた。見ていると思わずタナッセの頬までつられてゆるむ程で、こどもが好みそうなものばかりを用意させた彼としては安堵も覚える。
 年相応、という言葉をまた思い、茶で口を湿らせた。
 出会った当初は正反対の感想しか抱いていなかったものが、変われば変わるものだ。そして、子供らしくあれなかったのだろう村での生活を想像する。タナッセの環境や読んできた書物では限度があったが、それでもなお、気分は平板になっていく。
 タナッセが触れてくれると安心出来る、ここに居ていいんだと、居るんだと感じられる。
 雨降る中こどもが言った言葉も相まって、彼が安心して暮らせる場所を作ってやろうと強く心に誓った。まだ知らせることなどかなわないが、いずれ、必ず連れて行く。こどもが自身の存在を常に疑わず安心しかないひだまりへ、きっと、絶対に。





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オトメユリが正式名称。
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インティメイト・ディスタンス
 適度な土足は意外に心地よい。
 タナッセと親しくするようになってから気付かされたことだ。そもそも、私にとって踏み込まれた経験というのは……事細かに記憶をさらっても仕方がないので端的に述べるが、疎外に他ならない。疎外するための侵入、侵略。
 別の在り方なんて私は知らなかったけれど、冷たく重い感覚を味わった地下湖でつい先日発見した。鋭い岩の冷たい痛みに押しつけるあたたかく大きなてのひら。わけても印象的だったのは、たった一瞬だけ重なった唇の意外な柔らかさ。どれもこちらの意思を問わず一方的な行為だったにも関わらず、顔を真っ赤にして駈けだした彼の背中を見ながら、私は疑いようもなく明白だった好意に頭から浸ってしまっていた。初めて、私からでなくタナッセから向けられた愛情表現だった。
 二つの基点を持って、――そこに初恋という要素が混じることによって、多少の強引さにひどく心地よさを覚えてしまう。
 タナッセはあの儀式のせいで負ってしまった罪悪感と、伴う消極性さえ頭をよぎらなければ積極性に溢れているというか、案外主導的だ。口づけの一件は分かりやすい。数日前はずぶ濡れを厭わず彼を追いかけた私の髪や手に躊躇わず許可も取らず触れた。
 そして今も。
 前置きこそあったものの、私の返事を待たずに抱き上げてしまう。
 子供として過ごせる最後の日だった。中庭の、ほとんど森のような一角には木漏れ日が差し込んできてややもすれば昼寝出来そうな居心地良さだった。私とタナッセは二人で不器用に将来を誓い合い、それだけでも思考停止する強烈さで嬉しかったのに横抱きにされた。身体全てがタナッセの腕の中に収まっている安心に力を抜いて顔を寄せる。私は軽いらしい。……城へ来てからだいぶ太ったと思っていたのに。
 顔を寄せると、どうもタナッセにとっては別領域になるらしく、頬を朱に染めてどもった。口づけだってし合った仲だろうと言いたいが、我慢する。
 我慢して、これからに期待して、私は自分から強引に唇を重ねに行った。





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期間制約やタナッセの性格上、「神の業〜」なし愛情は有り得ないのですが、
罪悪感ゼロな愛情ルートがあったらどれだけバカップル入るのか、
愛情確定後のデレデレな言動を見ていて考えます。

しかしまあタナッセは自分より弱くないと恋愛気付けないし入れないけど
引いちゃうタイプだと駄目なのだから面倒(褒め言葉)な御仁だ。
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手を取って輪を出よう、
決意を秘めて
 考える力が最初に言ったのは、これは僕のせいだ、という一言だった。
 忘れ物を取りに家へ戻ったら母が死んでいた。気付いたら私――当時は僕という一人称だったが――は座り込んでいて、言葉にならない声、というより音を不随意に漏らしていた。
 辺り一帯血の海だったからだ。
 多分、苦しみ抜いたのだろう。自害に使用したと思しき刃物は彼女の手を離れており、口の端にはあぶくが付着していた。涙に濡れた眼球を見ながら名前通り本当に丸いんだなと、私は他人事めいて思いながら、やけにしみじみともう一度思った。
 僕のせいで起きた惨状だ、と。
 私が自分のことに手一杯でいたからだ。
 いや、そう言い訳して、何もしなかったためだ。
 まいにちたいへん。こどもだからしかたがない。
 忙しさや年齢など言い訳になる物か。実際母は死んだのだ。自死は魔に誘われた所業だと言うが、都合のいい慰めにしか響かなかった。私が印を持っていなければ、あるいは家族三人の団欒を、もっとそれ以上の団欒を築けていたのかともよぎったが――他所に原因を願うのは責任逃れにしか感じられなかった。
 私は自分に酔わない。浸らない。そんな資格はない。なくなった。

 だから、出迎えの彼が厭な挨拶をしてきた時、思ったのだ。
 排斥したいようでいながら同情をも口にする理解しがたい彼の、真意を知ってみようじゃないか、と。
 それは叶い、彼とはいっそ親しくすらなった。ただ、何故自分などと親しくするのかという問いは、上手く言葉に出来ないと詳細を話すのを躱し、……けれど何も言わないのは卑怯だったので一つだけ語った。
 もし、こうして色々を聞いていたら、聞くための努力を行えていたら、話してもらえていたのなら。何か変わったはずだ、と後悔した記憶がある。

 そうして、私は意思の赴くまま、人生初めての友人の背中を未来に押した。
 閉じられた城から出て行けと、引き留めたい気持ちをかなぐり捨てて。
 だが、彼の母、国王リリアノに言われてしまった。それが再びの始まりだ。今度は私も運命が転がった音を確かに聞いたのだと思うし、――うん、仕方ない、言われてしまったとおり、見透かされてしまったとおり、私はきちんと私の時間を進めようと頑張ることにする。
 ――――……私には与えられぬ情報も多い。
 ――――お前もまた、考えてみるといい。
 言い訳では断じてない。ないです。私も彼に後押しされたという、ただそれだけだ。
 私は早速手紙を送る。果たして返事はやってきた。また会えることを楽しみにしていると、飽くまで友人との再会を喜んでいるだけの言葉を胸に、私はなまけていた神学の勉強に身を入れ始めるのだった。





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タイトルは境界線上のホライゾンUOSTから二曲。
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